パズル&ドラゴンズ
伝説の地、強襲
イルムによる「完全なる魔導書」創造のため、5人の龍契士達が行動を開始した。
龍と契約しながらも龍を憎み道具のように扱う彼等は、強大な龍を制御する特別な術印「龍覚印」を奪うため、それぞれ伝説の地を強襲する。
この襲撃を受け、ソニア=グラン直属部隊に属する龍喚士達はそれぞれ「龍覚印」を取り戻すべく動き出した。
第五の龍覚印、奪取
『自身を化け物に変え、身勝手に利用しようとした龍と龍喚士への復讐』という願いを叶えるために龍を狩る集団として伝説の空路を襲撃した6号は、守護者であるディアラを倒し「第五の龍覚印」を手に入れる。
目的のものを狂幻魔へと届けるべく天城へと帰還した6号は、そこで偶然デウス=エクス=マキナの核を探していた橙龍契士・サリアを発見した。
「龍ノ臭イ……滅ボス」
サリアは咄嗟に盾を構えるが、6号は構う事なく巨大な龍腕を振り上げる。
しかし、その腕が彼女を襲う事はなかった。
「攻撃する意志のない女に手ぇ上げてんじゃねぇよチビ」
サリアを庇うようにして立ち塞がる青年。
それは天城から吹き飛ばされたはずのガディウスだった。
その頃、4人の隊員へ任務を伝え終えた直属部隊の隊長であるニースは、最後の1人が待つ部屋へとやってきた。重苦しい扉を開いた先で待っていたのは、おびただしい数の魔法陣に囲まれたイデアルと言う名の女性。
「お待ちしておりました部隊長様。私は何をすれば良いのでしょう?」
クスクスと笑みを浮かべるイデアルに、かつての面影は欠片もない。
彼女を助けるためとはいえ、本当に記憶を封印する事が正しかったのか。
心に浮かぶ疑問。しかし今から彼女へと告げる任務の内容を考えれば、きっと覚えていない方が幸せなのだろう。そう自分に言い聞かせ、ニースはイデアルに命令を伝える。
「イデアル。貴方に第五の龍覚印の奪還と、伝説の空路襲撃者の排除を命じます」
「かしこまりました。全ては継界の康寧のために」
笑顔で頷く彼女は、自分に与えられた命令がどんなに残酷な事なのかをまだ知らないでいた。
第七の龍覚印、奪取
戦いの中でしか得られない刺激を求めるターディスは伝説の樹海を襲撃し、守護者であるウォレスを倒して「第七の龍覚印」を手にする。
その後、帰還する途中でイルムを倒すべく天城へと向かっていたシルヴィを発見。
彼女から強い力を感じ取り戦いを挑むも、突如ターディスとシルヴィの間に別の人物が乱入した。
「あぁ? 誰かと思えば、お前が邪魔しにきたのかよ」
「脱走者の捕縛は看守の責務。愚兄の不始末は弟である僕が片付ける」
それはかつて、自身を捕えるため龍に手を貸した実弟「警手の荊龍喚士・ヴェルド」だった。再び兄を捕えようとやってきたヴェルドを前に、ターディスは愉しげに笑いながら告げる。
「俺と真正面からやり合うのは、お前にはまだ早ぇよ」
第九の龍覚印 奪取
醜い存在である「龍」のいない世界を作るために伝説の遺構を襲撃したクーリアは、守護者であるエナを倒し「第九の龍覚印」を手にする。帰還する途中、龍覚印を取り戻すべく遣わされたソニア=グラン直属部隊のシャゼルと対峙した。
当初はやる気のない様子を見せていたシャゼルだったが、クーリアの側に自身のお気に入りだった龍「モルム」を見つけ嬉々とした声を上げる。
「見つけたアタシのモルムちゃん!!!!!」
「ヒッ!? クーサマ逃ゲテ! アノ人メッチャ怖イ人ダヨ!」
モルムがクーリアにすがるのを見て彼女がモルムと契約している事を即座に見抜いたシャゼルは、怒りで引きつった笑顔を見せながら脅しにかかる。
「ちょっとそこの小娘。アタシの愛しいモルムちゃんを即刻返しなさいな」
そんなシャゼルへ、クーリアはモルムをねじ伏せながらにっこり笑って一言。
「気持ち悪い人ね」
シャゼルの脳内で戦いのゴングが鳴り響いた。
第八の龍覚印・海/第八の龍覚印・天、奪取
伝説の星海を襲撃したキリとリィは、守護者であるグラト、アムネルを倒しそれぞれ「第八の龍覚印・海」「第八の龍覚印・天」を手にする。
しかし最後にグラト達が放った激流により、混乱の最中リィと離ればなれになってしまった。彼女の身を案じながらも目的を果たすべく、キリは龍覚印を手に天城へと帰還する。
その後、ソニア=グラン直属部隊のエンラはキリの契約龍であるマジェが追い求めていた大罪龍の1体である事を知り、大罪龍と龍覚印を取り戻すべく行動を開始した。
リィの行方
天城から離れた地に転移させられたティフォンは、再び狂幻魔と戦うべく先を急ぐ途中、無数の龍が倒れている中で気絶していた少女を見つける。
「こわい、コワイよ、助けてお兄ちゃん…!」
記憶の殆どを失い怯える少女に幼い頃の弟を重ね、安全な場所まで同行しようとするが、彼等の前にイルムの配下である魔龍達が立ちはだかった。
龍を目にした事で呪いが発動してしまったリィは、ドルヴァを宿すティフォンの背を切裂き、群がる魔龍を次々と倒していく。
「龍ハぜんブ……全ぶヤッツけなクちャ……」
先ほどまでと明らかに違う彼女の様子に困惑するティフォンへ、リィの契約龍である「ガランダス」が忠告する。
「傷を負いたくなけりゃ今すぐ背中の龍を隠せ。お嬢の目に龍と名の付くもんが映らなくなるまで、大人しくしとけよ兄ちゃん」
視界から龍が消えると、リィは気を失ってその場に倒れてしまう。
ティフォンはその間に、ガランダスから彼女にかけられた呪いの話を聞き出した。
そんな時、龍覚印を奪取したリィを追って、ソニア=グラン直属部隊のラシオスがやってくる。
「何故貴様がここにいる! 龍を狩る者と契約しているのか!? 答えろガランダス!!」
追っていた龍契士の契約龍が、かつて自身が召喚していた龍だと知ったラシオスはガランダスに向かって何故だと問いただす。
「アンタが自分で棄てたんだろ。オレはもうアンタの兵じゃねぇんだよ」
ガランダスはラシオスの言葉に耳を貸す事無くティフォンとリィを連れて姿をくらませた。
協力要請Ⅰ
天城から離れた地に飛ばされた際、転移術にイルムと違う気配を感じ取ったリューネは、
幻魔の背後にいる存在と「完全なる魔導書」について調べるため、自身に力の使い方を教えてくれた龍契士を頼り再び紅葉山の奥地へと訪れた。
「おかえりなさいリューネ。ティフォン君の弟さんは無事に助けられましたか?」
様々な書物に囲まれながら契約龍と共に彼女を迎えるリクウ。
長い時を生き龍と世界を見続けてきた彼へ事情を説明し協力を請おうとした時、それを遮るかのように来訪者を告げる扉の鐘がチリンと鳴り響いた。
「今日は随分とお客様が多いですね。さてどなたでしょうか……」
ゆっくりとした動作で小屋の扉を開ける。
しかしリクウは扉の前に立つ者の顔を見た瞬間、青筋を浮かべて勢いよく扉を閉めた。
「うちは押し売りと龍喚士お断りです。お引き取りください」
リクウが問答無用で拒絶した者。
それはリューネと同じく彼へ情報提供を願いにやって来たソニア=グラン直属部隊のニースだった。
「龍喚士お断りって言ったじゃないですかぁ……」
協力要請Ⅱ
出だしから門前払いを喰らったものの、リューネの仲裁で何とかリクウと対面を果たしたニース。
しかし当のリクウは心底嫌そうな顔を隠さない。
「協力を願いにきただけなのだが、何か不快な思いをさせてしまっただろうか」
「貴方に限った話ではありませんよ……あまり龍喚士に関わりたくないだけです」
貴方の上役や龍王達にも、あれだけ放っておいてくださいと言ったのに。
ぼそりと愚痴をこぼした後、リクウは仕方なく深いため息を吐いて向き直る。
「お話だけは伺いましょう。……話だけは」
龍契士達による龍覚印の強奪と、イルムが創造しようとしている「完全なる魔導書」。
それらの話をニースとリューネから聞いたリクウは、先ほどとは違う感傷的な面持ちを見せた。
「今また、その書の名を聞く事になるとは思いませんでしたが……」
少しばかり懐かしそうに、しかしどこか悲しげな声でそう呟いた後、彼は2人に魔導書がどう言う物なのかを教える。
「『完全なる魔導書』とは、世界を創り変えるほどの力を持つ禁忌の書です」 全てを破壊する魔の書、全てを育む人の書、その2つを制御する龍の書。
3つの書から成るそれを使えば、継界の在りかたを変える事もできるという。
「狂幻魔に完全なる魔導書を創造させようとしている者の狙いは、おそらく」
継界を創り変え、"龍"の存在そのものを消し去る事。
悪魔の遊戯
リクウから話を聞くことができたニースは、イルム達の背後に潜む存在について報告に向かっていた。しかしその際中、空から漏れ出す僅かな瘴気に気付いた彼女は銃を構え、迷う事無く引き金を引く。
「おや、見つかってしまいましたか。うまく隠れていたつもりだったのですがね」
弾丸を受けひび割れた空間から現れたのは、不気味な笑みを浮かべたダンタリオンだった。
イデアルをそそのかした悪魔を許さないと、ニースは相棒の龍を召喚し臨戦態勢に入る。
そんな彼女を前に、ダンタリオンはさらに笑みを深めた。
「あぁ、あの方々の事ですか。期待外れではありましたが、それなりに面白い悲劇でしたよ。ほら、貴方にもあの時の一幕を観せて差し上げましょうか?」
笑いながら糸を繰り白と黒の人形劇をしてみせるダンタリオン。
白は心を壊したイデアル。そして黒は、記憶を失い憎しみのままに龍腕を振るう龍契士の少年。
「フフ、貴方は彼女に、彼と戦えと命じたのでしょう。無慈悲ですねぇ、まるで悪魔のように残酷なことを」
「黙れ!」
クスクスと嘲る悪魔へ、ニースは再び怒りの弾丸を撃ち込んだ。
彼女の弾丸は、確かにダンタリオンへと命中した。
パリパリと音を立てて仮面の破片が壊れ落ちる。
その下から現れたのは誰の顔でもない、闇そのものだった。
「人形劇はお気に召しませんでしたかね。しかし貴方もそう変わらないのですよ。今、全ての者は彼の筋書通りに演じさせられているのですから。そして私は、その操り糸がグチャグチャに絡まりもつれ合う様が見たいだけなのです」
ダンタリオンは至極愉快そうに笑ってみせる。
「さて、貴方には私を見つけたご褒美に良いことを教えて差し上げましょう」
還爪の力を持つお知り合いに、危険が迫っていますよ。
昔話Ⅰ
-
ニースを見送った後、リューネは話を聞いていた時から気になっていた事を尋ねていた。
「貴方はどうして"完全なる魔導書"を詳しく知っていたの」
その問いかけに、リクウはばつの悪そうな顔をしてしばらく思案した後、覚悟を決めたように口を開く。
「"完全なる魔導書"の理論を構築したのは、僕なのですよ」
遠い昔。 人と龍が長い争いを繰り広げていた頃。
「龍」を愛し「龍と人との共存」の夢を抱いた一人の男が、願いを叶えるために旅をしていた。
彼の思想に、人格に、力に惹かれて集った仲間達のうち、様々な知識に長けていたリクウともう一人の天才。
二人は彼の願いを叶えるために龍や魔導、世界の在り方まで研究の手を伸ばし、やがて継界に属する存在の魔力を利用して生み出す"完全なる魔導書"の創書理論を構築する。
それが世界を創り変える程の力を持つと知ったリクウは、創書の実行を拒絶した。
『強大すぎる力は厄災しか生まない。あの人の願いを実現する方法は他にあるはずです』
けれどもう一人の天才は臆する事無く当初の目的を遂行しようとする。
『この魔導書で継界を創り直す。それが彼の願いなのだから』
しかしその行動は、継界を維持する者達から危険なものと判断されてしまった。
昔話Ⅱ
-
「龍と人との共存」を願っていた者。
彼は龍を愛し、龍の為に"完全なる魔導書"を使って仲間と共に継界のあり方を変えようとする。
しかしそれは、世界のバランスを守る龍王や龍喚士達によって"継界を害する行い"とされ、男は継界から排除され、異空間に封じられてしまった。
彼と共に旅をしてきた仲間も散り散りになり、旅は終わりを告げたのだった。
「愛する龍の為に行動してきた彼を見捨てる事もできず、彼を排除して継界の理を守ろうとする龍王や龍喚士達の側にも付けず。結局僕はあの時、ただ事の顛末を見ている事しかできませんでした。そして今また、あの魔導書が世界を狂わせようとしている。あんな理論など、構築しなければよかった」
自責と後悔を吐き出すようにして呟くリクウ。
過去を聞き"完全なる魔導書"に関する出来事を知ったリューネはしばらく思案した後、彼にひとつの疑問を投げかける。
「"完全なる魔導書"の創書法は貴方と仲間が生み出したもの。……ならイルムは何故、それを知っているの?」
リクウは声をのむ。確かに、"完全なる魔導書"の存在を知る者はごく僅かなはずだった。
5体の龍王。始まりの龍喚士・ソニア=グラン。
そしてリクウの脳裏にもう一人。
あの頃共に旅をした者達の中で、今も行方知れずとなっている者の顔が浮かび上がった。
解呪の糸口
-
ラシオスから逃げ切る事ができた後、リィが眠っている間にガランダスから事情を聞いたティフォンは、彼女にかけられた『呪い』を解こうと左手をリィへと向ける。
しかし邪滅の力を使ってできたのは、呪いの効果を抑え彼女の記憶がこれ以上失われないようにする事だけだった。
消沈するガランダスに、ティフォンはまだ希望はあると元気付ける。
「還爪の力があれば、解呪できるかもしれない」
思い浮かべるのは、かつて自身も弟の救出に協力してもらった青龍契士・リューネの姿。
おそらく彼女も再び天城を目指すだろう……。
ティフォンはリューネと合流するまで共に天城を目指さないかと提案する。
「ありがてぇ話だが、アンタはお嬢を連れたままで戦えるのか」
「戦闘中は……少し可哀相ではあるが、彼女を影に引っ張り込んで眠らせる事はできるか? そのうちに俺が敵を片付ける」
ガランダスはしばらく考え抜き、その提案に了承の意志を示した。
「そろそろお嬢が目を覚ます。俺はまた隠れるが、その間お嬢を頼むぜ兄ちゃん」
心配そうにリィを見つめながら影に沈んでいくガランダス。
そんな二人を眺め、ティフォンも自身の家族の身を案じる。
(無事でいるだろうか……ガディウス)
殴り合い
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天城で襲い掛かってきた6号からサリアを助けたガディウスは、そのまま敵の猛攻に応戦しながら背後で戸惑いの表情を見せるサリアへ声をかける。
「アンタが橙龍契士だな。ガイノウトのオッサンが心配してるぜ、さっさと帰ってやれよ」
「……貴方、頑龍王に言われてきたの? 助けてくれた事にはお礼を言うけど、私にはまだやらなくちゃいけない事があるの。だから帰らないわ」
「はぁ!? 冗談じゃねぇ、オレはアンタを連れ戻すって約束してるんだよ!」
「知らないわよそんなの……っ!?」
お互い譲らないまま会話がヒートアップする二人に、6号の龍腕が振り下ろされる。
咄嗟にガディウスがサリアを押し退け、その一撃を正面から受けた。
「……痛ってぇなこのチビ!」
サリアとの言い合いから、さらに苛立ちが募ったガディウスは、自身に飛び掛かろうとする6号を魔浄の拳で容赦なく殴り飛ばす。
壁に叩きつけられた6号の動きが止まった事を確認すると、舌打ちしながらサリアを米俵のように担ぎ上げた。
「わわっ!? ちょっと何するのよ離しなさい!」
「耳元でピーピー喚くな! 一旦引き上げるんだよ! こんなチビに付き合いながら話なんてやってられるか!!」
ギャーギャーと騒ぎながらその場を離れていく二人。
しかし6号は彼等を追う事もせず、倒れたまま頭を抱えていた。
『……よう……く……声……届……』
「ウウゥ……何ダ……頭ガ……ッ」
6号の脳内に直接響く声。
それは彼に支配されていたはずの契約龍『ヴァンド』の声だった。
クーリアとシャゼル
-
天城へ向かう途中で足止めされたクーリアは、面倒そうにシャゼルの攻撃を受け流していた。
「いい加減、大人しくアタシにやられなさいよぉ!」
「どうして私が貴方の気持ち悪いお願いを聞いて差し上げなければいけないのかしら」
「キィィッ! 本当に気に食わない子ね。なんでアンタがアタシのモルムちゃんと契約なんて……っ」
ハンカチを咬みながら、シャゼルはクーリアの契約龍に向けて愛を叫ぶ。
「アタシのモルムちゃん! 今その女を倒して貴方を自由にしてあげるわ! そしたらまた一緒にお風呂に入って綺麗で可愛いモルムちゃんになりましょうね!」
『ヒィィィィ! 嫌ダヨ、クー様! アノ人怖イヨ!』
顔を出し泣きすがるモルムを鬱陶しげに払いのけながら、クーリアはシャゼルへと向き直る。
「別にこの龍がどうなろうと私の知った事ではないのだけれど……。私、これでも御使いの途中で貴方と遊んでいる暇はありませんの。だからさっさと地べたに伏して頂きたいですわね」
妖しげな瞳がスッと細められ、クーリアの背に強大な龍手と翼が生える。
「上等よ!」
シャゼルも箱庭の召喚扉を開錠し、多くの葉龍を喚び出した。
二人の強大な力が今にもぶつかろうとしたその時。
『やーっと話のできそうな人を見つけたよ!!』
空の彼方から現れた一匹の龍と少女が、二人の間に突撃した。
襲来Ⅰ
-
リューネとの話の最中。
強大で、そしてよく知る魔力の気配を感じ取ったリクウは、勢いよく外へと飛び出して行く。
それを追いかけて外へ出たリューネが目にしたのは、曇天に染まる空に佇む一人の青年だった。
「お久しぶりですね」
「貴様の顔など、二度と見たくはなかったのだがな」
「それは僕も同じです!」
リクウは彼の顔を見上げたまま、苦虫を噛み潰したかのような顔をする。
お互いに顔見知りのようだが、とても仲が良いようには見えない。
「一体何者なの」
「……先程、僕と“完全なる魔導書”の理論を構築した天才のことをお話ししたでしょう。
それが目の前にいる彼……ディステルです」
何故このタイミングで?
リューネが戸惑いの表情を見せる中、リクウはディステルに問いかける。
「長い間行方をくらませていたくせに……。なぜ今、姿を見せたのですか」
敵を見据えたような目をするリクウに、ディステルは冷やかな視線を落とした。
しかしその瞳に、リクウは映っていない。
「何もせぬ貴様に用はない。私の目的は」
その娘が持つ、還爪の力だけだ。
彼がそう告げた瞬間、リューネの龍腕に鋭い牙が襲い掛かった。
乱入Ⅰ
-
天空からの突入を受けて、シャゼルとクーリアはその場から飛び退き距離を取る。
土煙が蔓延する中しばらくすると、龍の背に乗った少女がにこやかな様子で近付いてきた。
「いやービックリさせてゴメンねー。グライザーってば力加減ができないからー」
『我のせいにしないで頂きたい。何百年経っても不得手なご主人が悪い』
「細かい事は苦手なんだよー。ディスくんとリッくんがいたらお説教タイムだったねー」
傍の龍と話している少女は、ここが戦場だと認識していないかのように明るく、不似合いな笑みが浮かんでいる。
「また変な子が現れましたわね……」
「変な子? ボクの名前はプラリネって言うんだよ。アナタの名前はなんていうのかな」
「お教えする必要がありまして?」
「なるほど! “お教えする必要がありまして?”ちゃん、なんだね!」
その時クーリアは思った。これは、心底面倒な相手だ。
影Ⅰ
-
追ってきたヴェルドの相手をしていたターディスは、思ったよりも力をつけている弟に僅かながらも興味を持ち始めていた。
「ちっとは遊べるくらいになったみてぇだな」
「黙れ!」
怒号と共に振るってくる鞭を悠々と避け、ターディスは愉しげに拳を振り上げる。
しかしその攻撃は、ヴェルドに届く寸前でピタリと止まった。
「……チッ、せっかく楽しくなってきたってのに、時間切れかよ」
つまらなそうに拳を引き、背後へと目を向けるターディス。
その視線の先にいたのは、闇に蠢く黒い影だった。
襲来Ⅱ
-
リューネを襲った龍は、まるで吸血鬼のごとく彼女の力を奪い取った。
痛みに顔を歪める彼女へ治癒術を施しながら、リクウはディステルを睨みつける。
「なぜ貴方が彼女の力を求めるのですか」
「私が答える必要はあるまい。目的の力を手に入れた今、ここに用はない」
殺気を感じたリクウが防御の印を描こうとするが、ディステルはそれを許す事なく容赦ない一撃を繰り出す。
しかしその攻撃が届く寸前、リクウ達を黒い風が包み込んだ。
「無事かリクウ殿、リューネ殿!」
リクウ達の背後から灰色の龍に乗って現れたのは、紅葉山を離れたはずのニースだった。
「途中で遭遇した悪魔が、リューネを狙う者がいると言っていたのだ。もし真実ならばと引き返してきたのだが……少し遅かったようだ」
リューネの傷を見て眉を寄せたニースは、すぐに敵へ銃を構える。
その様子を眺めていたディステルは、再び牙をむいていきり立つ契約龍を抑えて衣を翻した。
「これ以上の時間を割くのは無意味だ」
「待ってください!」
その場を離れようとするディステルにリクウが叫ぶ。
「幻魔の行動、完全なる魔導書の創造……今、この継界で起きている事全て、貴方の仕業なのですか!?どうして……!?」
ディステルはその問いに肯定も否定もせず、たった一言だけを残して姿を消した。
「私の行動理由は、あの頃から何一つ変わっていない」
乱入Ⅱ
-
「ところで“お教えする必要がありまして?”ちゃん。聞きたい事があるんだけどいいかな!」
「……クーリアとお呼びなさい」
「じゃあクーちゃん! ボクちょっと行きたいところがあるんだ。でも道がわかんないからー、知ってたら教えてくれないかな!」
「そうですの。お教えしてあげますから言ってごらんなさいな」
戦う気が失せたのか、クーリアは龍翼と腕を仕舞い込む。
適当な場所を指差してさっさとこの場から離れてもらおうと考える彼女をよそに、プラリネは笑顔で目的地を口にした。
「天城って場所だよ」
「……何ですって?」
虚を付かれたように声をあげる。
彼女が目指していた場所は、クーリアが戻ろうとしている狂幻魔の居城だったのだ。
「貴方、そこに何か御用があるのかしら」
「ちょっとやる事があるんだ。でも途中で迷っちゃって、困ってたんだよねー」
クーリアはほんの少しだけ考えるような仕草をした後、にこりと笑顔で頷いてみせる。
「構いませんわ。私も丁度、同じ場所に行く途中ですの。私をソレに乗せてくださるのなら、特別にご案内して差し上げますわ。いかがかしら」
クーリアの思惑に気付かないまま、プラリネは提案を承諾する。
「案内してくれるなら全然構わないよ!」
「決まりですわね。では早く向かいましょう。時間の無駄ですわ」
「了解―! それじゃぁ目的地に向けてレッツゴー!」
元気いっぱいで出発の声をあげるプラリネと、その後ろで我慢の笑みを浮かべるクーリア。
二人を背に乗せた龍は、呆れた顔をしながら空へと舞い上がった。
……すっかり放置された一人を除いて。
「ちょっと待ちなさいよおおお! アタシを放っていくなんていい度胸じゃないのおおお!」
影Ⅱ
-
現れた影を前に、ターディスは苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「へいへいわかったよ。遊びは遣いを終わらせた後にすりゃいいんだろ。仕方ねぇ、今日はここまでだ。」
彼の理解を確認すると、影はヴェルド達を見る事なく背を向けた。
その後に続いて踵を返したターディスはふと思い立ったように、今まで戦っていたヴェルドやシルヴィたちの方へと顔を向ける。
「また俺と遊びたきゃ、天城まで追いかけてくるんだな」
期待を込めてそう言い残し、ターディスは影と共に姿を消した。
しかし兄に対して激昂していたヴェルドと、困惑の面持ちで兄弟の戦いを見つめていたシルヴィが彼等を追いかけることはなかった。
「…… 何なんだ、“アレ”は」
影が消えた場所をじっと見つめるシルヴィと、声を絞り出して呟くヴェルド。
二人の顔には、明らかな恐怖の色が浮かんでいた。
暴食龍Ⅰ
-
天城に龍覚印を持ち帰ったキリはリィを探している最中、ソニア=グラン直属部隊のエンラと対峙した。
「お前が龍覚印を奪った者じゃな」
「そういう貴方は奪還命令を受けた龍喚士ね。残念だけど貴方の欲しいものは、もうここには無いわよ」
「いや、まだあるぞ。お前が右手に縛るそれは希少な大罪龍の1体。妾にとってはそちらが本命なのじゃよ。妾に譲ってはくれぬかの」
今にも暴れ出しそうなマジェを物欲しげに見つめるエンラへ、キリは軽蔑の視線を向ける。
「貴方はマジェがどんなに凶暴で浅ましいものか知っているの。何年もかけて育てた村の畑も、動物も、家も、人も。本能のままに滅ぼし尽くした化け物よ。どうしてこんなものを欲しいと言うの?」
「龍とは元来そう言うものであろう。それを御し、扱う事で有益な力となり得る。お前の龍も妾が上手く使ってやろうぞ」
召喚籠の鍵を外し、集めた龍を喚び出したエンラに、キリもマジェの力を解放する。
「これは私が願いを叶える為の道具で、仇でもある。他人に渡す気は無いわ!」
両者の力が幾重もぶつかり合い、優位に立ったのはエンラの方だった。
彼女の繰り出す様々な種の龍は少しずつキリの動きを封じ込めていく。
「これで終いじゃ。後はゆるりと龍を切り離すとしようかの」
望みの成就を確信し笑みを浮かべるエンラに、キリは氷のような声で問いかけた。
「貴方はマジェを使って何をするつもりなの」
「……全てを貪る暴食の龍。そやつに喰らわせたいのじゃよ。辛く悲しい、我が弟子の記憶をな」
暴食龍Ⅱ
-
エンラがマジェを欲する理由には、コレクションとする以外にイデアルの記憶を喰わせる目的があった。
今エンラが封じている彼女の記憶は、失われた訳ではない。
何かのきっかけで封印が解かれ記憶を取り戻せば、イデアルはまた苦しむ事になるだろう。
「辛い記憶など失くしてしまった方が良いのじゃよ。そうでなければあの子はいつまで経っても過去に引き摺られたままとなってしまう」
哀しげに目を伏せる。
しかしキリは彼女の考えを真正面から否定した。
「貴方は何もわかっていないわ。例えマジェが記憶を喰らっても、既に起きてしまった過去まで無くす事はできないのよ」
契約龍を宿す右腕に力を込める。
自分とて、村と家族を失った辛い記憶を忘れてしまいたいと何度思っただろう。
けれどたとえ忘れられたとしても、あの幸せな頃にはもう……戻れない。
「辛い過去も苦しい記憶も全部、ずっと自分で抱えて、引き摺っていくしかないのよ!」
叫びと同時に自身の動きを封じる龍を引き剥がしたキリは、右腕を振り上げてエンラを岩壁に叩きつけた。
聖域での戦い
-
ミルを狙う魔龍の軍勢をツバキが一掃し、スミレが聖域に魔封じの結界を施す中。
カエデは内部に入り込んだ魔龍を排除しながら、その異質さに眉をひそめていた。
今相手にしているものは全て、何者かに生み出された龍の”影”だったのだ。
一体誰が何の目的で、魔龍達を生み出し彼女を狙ったのか。
心当たりがないか尋ねようと、カエデは聖域の中心部にいるミルの元へと向かう。
しかし辿り着いた場所で瞳に飛び込んできたのは、倒れているミルと、彼女に手を伸ばすラジョアの姿だった。
カエデはすぐさま護符を飛ばし、ラジョアの手が届く前にミルを守る。
「貴方は何者……そこで何をしているの」
目の前の存在が危険なものだと一目で認知し戦闘態勢を取る。
しかしラジョアから溢れ出す異様な気配に気圧され、護符を構えるカエデの手に震えが見え始める。
そんな彼女を安心させるように、龍神はそっと彼女の側へ寄り添った。
『カエデ、そう焦らずとも良い』
「師匠……」
『恐れる事など何もない。主には儂の加護があるのだから』
ヤマツミ=ドラゴンは彼女に一振りの刀を与える。
それは争いを嫌い、平和を愛する龍神が、己の龍喚士と共に戦う意志の表れ。
カエデは目の前の敵を真っ直ぐに見据える。
刀を握りしめる手にもはや、震えはない。
「……いざ、参ります!」
昔の話
-
契約龍レイゲンがディステルに与えたものは、他者の力を奪う希少な能力と、体が徐々に朽ちていく死の特性。そんな彼の為に、旅の仲間であった青年は龍の力を抑える龍牙を手渡した。
「私の為に……ありがとうございます」
常に相手を見下すような顔しかしないディステルが嬉しそうな表情を浮かべるのを見て、他の仲間達は驚きの声を上げた。
「ディスくんが笑ってる! 珍しいねー!」
「普段の冷徹仮面はどこへいったんでしょうね。貴重すぎて逆に気持ち悪いですよ」
いつもの凍てついた雰囲気など微塵も感じさせず、贈り物に夢中となっているディステルを見て呆れたように肩をすくめるリクウ。しかしそんな彼にも、青年は同じ龍牙を渡した。
「……僕にもですか?」
生命力が常に枯渇しているディステルとは正反対の特性を持っていたリクウは、リョウエンから流れ込む生命力でどんな傷もすぐに癒える。しかしその力は自身の体で耐えきれるものではない。過剰な力を抑える為に親友が用意した龍牙を受け取り、リクウはふわりと微笑む。そんな彼を、ディステルが忌々しげに睨み付けた。
「こんな貧弱ドラゴン馬鹿にもったいない事を……」
「誰が貧弱ですか!」
「貴様など、龍の力がなければただの体力無しではないか」
「た、体力なんて無くても頭が働けば良いんです!」
「ディスくんとリッくん、またケンカー? 本当に仲良しだねー!」
プラリネの呑気な声に、『冗談じゃない!』と二人の声が重なった。
ほら仲良しだよと笑うプラリネの肩にも、青年から贈られた美しい花が飾られている。
どうして突然、皆に贈り物をしたのか。リクウの問いかけに、青年は笑顔で告げた。
『大切な旅の仲間であるという、証のようなものを渡したかったのだ』……と。
「……」
仲間の証。そう言われた龍牙を握りしめる。
リクウとの再会で思い出した過去は、ディステルの心を僅かに波立たせた。
そんな彼の前に、ダンタリオンがケタケタと笑いながら姿を現す。
「貴方が感傷に浸るなど珍しい。昔の仲間との再会で、何か思う事でもありましたか?」
「……奴を仲間だと思った事など、一度もない」
「ああ、そうですか? フフフ、それはよかった。貴方の目的に、そんな陳腐な感情は必要ありませんからね」
神経を逆なでするような言葉に、ディステルは表情一つ変える事なく凍てついた瞳を向ける。そんな様子すら楽しんでいるかのように、ダンタリオンは声高に笑い声を響かせた。
「さぁ、貴方が欲する力のうち一つは手に入りました。次はどうされるのでしょう」
「……私の目的は、異空間に封じられたあの方を再び継界へと戻す事。その為に必要な駒を全て揃える」
「それでは、次の獲物の場所をお教えいたしましょう」
クスクスと笑みを浮かべながらダンタリオンが示した場所。
それは獄幻魔の居城だった。
家族
-
リィと共に天城へと向かう事になったティフォンは出来るだけ彼女を気遣い、こまめに休憩を取りながら旅を進めていた。
「リィ、疲れていないか」
「大丈夫だよ。ありがとうお兄ちゃん!」
満面の笑みできゅっと手を掴むリィを見て、ティフォンはふと目を細めた。
「お兄ちゃんどうしたの?」
「いや……、昔は弟もこうやって俺の手を掴んできたなと思い出していたんだ」
まだ幼い頃のガディウスは随分と大人しく泣き虫で、よく自分の後をついてまわっては、離されないようにと手を掴んできた。
(今のガディウスからは考えられないが……)
懐かしむティフォンに、リィはこてんと首を傾げる。
「お兄ちゃんには兄弟がいるの? いいなぁ、リィもほしいなぁ。家族って、一緒にいると寂しくなくなるんでしょう?」
「……リィは、家族の事も覚えていないのか」
「……うん。でもリィは寂しくないよ。だって今はお兄ちゃんがいてくれるもん」
笑って喜ぶリィに、ティフォンは複雑な面持ちで彼女の足元に伸びる影を見つめた。
本当はリィにとって、ガランダスが家族と呼べる存在のはずなのだろう。
彼女の影に潜む龍を思っていると、リィにクイクイと手を引かれ意識を戻される。
「ねぇお兄ちゃん、お兄ちゃんの家族は他にもいるの? 家族って、お父さんとお母さんもいるんでしょう?」
どうやら家族というものに興味を持ったらしいリィは、キラキラした瞳を向けてくる。
ティフォンは少し困ったように苦笑いを浮かべた。
「いや、俺の家族は弟だけだ。母は幼い頃に亡くなってしまったし、父は……」
そこでティフォンは、父親について何も知らない事を思い出す。
(物心付く頃にはいなかったし、母さんも何も言わなかったな……どんな人だったんだろうか)
もし生きているなら会ってみたいと思いながら、ティフォンはリィと手を繋ぎ天城への歩みを進めた。
束の間の休息
-
歩き疲れたリィが眠りについた頃、彼女の影から姿を見せたガランダスは、ティフォンへ自分の特技の一つを披露した。
「あの時、怪我させちまった詫びがまだだったからな」
ずらりとティフォンの目の前に並べられた肉、魚、果実、様々な食材を使ったそれらは、全てガランダスの手作りだ。
「……器用だな」
その巨体からは想像もできない料理の数々を前にして、ティフォンは思わず目を丸くする。
そんな彼の様子にガランダスは満足げだ。
「お嬢用の朝飯も作っておいたから、起きたら食べさせてやってくれ。お嬢にはちゃんとした物を食わせてやんなきゃなんねぇからな」
「リィのために料理を覚えたのか?」
本当に父親みたいだなと笑うティフォンに、ガランダスは少しだけ複雑そうな顔をする。
「随分前に、そりゃあもう不器用な奴がいてな。見かねて覚えたんだ。こうやってちゃんとしたモン作れるようになったのはお嬢と出会ってからだが、オレに関わる人間って奴は何でどいつもこいつも世話がかかる奴なんだろうな」
まるで何かを懐かしむように、しかし何処か悲しそうに呟くガランダスに、ティフォンはそれ以上問いかけることなく、目の前に置かれた料理を口にする。
「……美味い」
「おう、たらふく食いな」
初めて食べたドラゴンお手製の料理は、温かくて優しい味がした。
かつての相棒
-
かつて召喚し共に戦っていたガランダスは、龍覚印を奪った者の契約龍になっていた。
予期せぬ再会は、ラシオスに大きな動揺と困惑を与える。
「なぜ、お前なんだ。どうして……」
常に騎士として力だけを磨いてきたラシオスは、努力の末に狂剛龍の名を持つガランダスの召喚に成功した。その巨体で全てを薙ぎ払うガランダスと鉄壁の守り手であるラシオスの武功は瞬く間に轟き、やがて衛龍喚士と呼ばれ、認められるようになった。
何事も自分の努力で道を切り開いてきたラシオス。
しかしそんな彼女にも、苦手とするものがあった。
「……なんでこのオレがこんな事しなきゃなんねぇんだよ」
ガランダスはブツブツと文句を言いながらその巨体に似合わず繊細な手つきで食材を調理していく。
「隊長から茶会の誘いを頂いたのだが、菓子を持参するように頼まれたのだ。シャゼルの主催だというし、買ったものを持っていくのもどうかと思ってだな……」
言葉を濁すラシオスに大きなため息を漏らし、ガランダスは調理場の隅に追いやった黒い物体に視線を向ける。
彼女が唯一、努力ではどうにもならなかったもの。それは料理や掃除といった家事全般だった。掃除や洗濯は力加減が分からず、料理に至っては必ず黒い何かが出来上がる。
あまりの惨状を見かねたガランダスが世話を焼き始め、結局は代わりにこなすようになっていた。
「戦場じゃ敵無しだってのに、こういう事はてんでダメだってんだから、オレの主は極端すぎるぜ」
「う、うるさい! どう頑張っても上手くいかなかったんだから仕方がないだろう! それに……」
少し気恥しそうに顔を赤くしながら、ラシオスはぼそりと呟く。
「私ができない事は、お前がやってくれるだろう。……それでいい」
「……本当に、仕方がねぇ奴だな」
不器用な自分を、ガランダスはいつも笑いながら助けてくれていた。
かつて共にいた頃を思い出し、拳を握りしめる。
再会した時、去り際にガランダスは言った。
ラシオスが自分を棄てたのだと。もうラシオスの兵ではないのだと……。
「私はお前を……棄てたり、など……」
絞り出すような声で呟くも、届けたい相手はもう目の前にいない。
いたとしても、今では聞いてもらえるかすら分からない。
……ガランダスは敵なのだ。
どんな理由や経緯があったとしても、己がすべき事は変わらない。
その為にかつての相棒を傷つける事になったとしても。
ラシオスは再び前を見据え、龍覚印を奪還すべくガランダス達を追いかける。
「私はただ、与えられた役目を果たす」
ディステルの目的
-
ディステルの襲撃後、ニースはリューネの治療を終えたリクウへ問いかける。
「リューネ殿を襲った者が去り際に残した言葉……リクウ殿はその意味がわかったのか」
“行動理由は何一つ変わっていない”
この言葉の意味を唯一理解していたリクウは、沈鬱な表情を浮かべる。
「ディステルは……悪魔と人の血を引く者なのです」
その存在は継界で禁忌とされていた。
どの世界にも属さず、矜持や目的もなく、ただ欲望の為に様々な者へ干渉し滅びへと導く悪魔。
その力を持って生まれたディステルは常に命を狙われながら生きてきた。
そんな彼を救ったのが、人と龍の共存を目指していたリクウの親友だったのだ。
「僕の親友だったあの人だけに心を許し、龍とまで契約し彼の願いを叶えようとしていました。行動理由が変わっていないというのなら、それはつまり全てあの人の為なのでしょう」
龍王と龍喚士によって異空間へと封じられた親友を思い浮かべる。
ディステルはきっと彼を再びこの世界へ戻すつもりなのだ。
「……けれどそれならどうして、還魂の力を必要としたの」
傷つけられた腕に触れながらリューネが疑問を口にする。
彼女の力は魂をあるべき姿に戻すものであり、空間に穴を空けたりできるものではない。
「リクウ殿、その異空間について何か知っている事はないのか?」
ディステルの行動を先読みできれば、打つ手が見つかるかもしれない。
リクウはしばらく考え込み、やがて意を決したように顔を上げる。
「……あの異空間を作り出した者なら、知っているかもしれません。彼女が話してくれるかはわかりませんが、行ってみる価値はあるでしょう」
リクウが示したのは、聖域と呼ばれる地だった。
ラシオスとガランダスⅠ
-
「見つけたぞ、龍契士!」
天城へと歩みを進めていたリィの姿を見つけたラシオスは、彼等の前に立ち塞がった。
咄嗟にリィの視界を塞いで眠らせ、影へと沈むガランダス。
それを追いかけようとするラシオスを、ドルヴァを顕現させたティフォンが制止する。
「リィを傷つけさせるわけにはいかない」
「奴等の仲間か。邪魔立てするというのなら容赦はしない!」
彼女の叫びを皮切りに、2人の剣が交わる。
怒涛の剣戟を凌ぎながら、ティフォンはラシオスへと問いかけた。
「お前はなぜリィを狙う、目的はなんだ!?」
「それが私に与えられた任務だからだ! 貴様こそなぜ龍覚印を奪った賊を庇う!!」
ラシオスは息を荒げながらも鋭い視線をガランダスの影へと向ける。
「貴様もだガランダス! 以前のお前は敵に背を向け、逃げ隠れなどしなかった。誇り高き狂剛龍。それが私の背を預けていたお前だったはずなのに!」
ラシオスの言葉に、黒い影がくらりと揺らぐ。
その気配に一瞬気を取られたティフォンへ、ラシオスが渾身の一撃を放つ。
「私が対峙すべき相手は貴様ではない!」
紫剣を宙へと弾き飛ばしたラシオスは、そのまま一気にティフォンの横を走り抜け、魔力を込めた刃を影に突き立てる。
「私の前に姿を現せ、ガランダス!」
ラシオスとガランダスⅡ
-
突き立てた剣の衝撃で影が歪んだ瞬間、ラシオスはガランダスを外へ引きずり出す。
「チッ……力任せな所は変わってねぇな」
どろりとした影から姿を現したガランダスは、その手にリィを抱えながら彼女へ視線を向けた。
「その龍契士を明け渡せ、ガランダス」
「断る。アンタにお嬢は渡させねぇ」
「……っどうして貴様が龍契士を庇う!? 星海の地を襲撃し、龍覚印を奪った大罪人なのに」
「アンタに何を言っても理解なんざできねぇだろうよ。オレはお嬢の龍だ、最後までお嬢を守る。アンタに手は出させねぇ」
リィを巨体に隠しながら闘気を孕むガランダスの瞳は、ラシオスを敵として見据えていた。
その視線に歯を食いしばり、彼女は剣を握りしめる。
「……何故、私の元を去りその娘と契約した」
「アンタがオレを棄てたんだろ。アンタは言った、戦場に必要ない龍だってな!」
ラシオスは目を見開く。ガランダスの言葉が、かつての大きな戦での記憶を呼び起させた。
「あの時、アンタは深手を負ったオレを戦場から放り出した。龍喚士にとって龍は使えなくなったら切り捨てて当然か? そんなに偉いのかよ!」
「違う! 私はお前を捨てたりなどしていない!」
「じゃあアンタがしたのは何だってんだ!? オレは、まだ……」
アンタの背を守って戦いたかったのに。
ラシオスは手にしていた剣をゆっくり降ろし、地に視線を落とす。
「ガランダス……私は……」
かすかに震える彼女に、ガランダスが一瞬気を取られた時。
『……龍ハ、全ブ……滅ぼさ、なくチャ……』
重く悲しい声色と共に、虚ろな目をしたリィが目を覚ました。
ラシオスとガランダスⅢ
-
龍殺しの呪いが発動し眠りから覚めたリィは、虚ろな瞳に映ったガランダスを影の爪で切り裂いた。
「グァアッ」
「ガランダス!?」
胸に大きな裂傷を受けうめき声をあげるガランダス。
突然の事態に困惑しながらも、ラシオスは剣を構え直す。
『龍ハ、滅ぼスの……全部……ぜんブ……』
「リィ、止めろ!」
止めようと手を伸ばしたティフォンを易々と弾き飛ばし、次の標的を定めようとするリィを屈強な鋼騎龍が抑え込んだ。
「味方を傷つけるなど……。やはり貴様は継界にとって害をなす龍契士だ!」
「違ぇ、やめろラシオス!」
ガランダスの制止は意味を成さず、ラシオスとリィは戦い始める。
幼い容姿からは想像できないパワーとスピードに翻弄されながらも応戦するラシオス。そんな彼女に、ガランダスは悲痛な声を上げた。
「止めてくれラシオス、お嬢を傷つけるな!」
「まだこの娘を庇うのか!? お前を傷つけるような者が契約者など……私は認めない!」
ガランダスは目を見開く。
(アンタはまだ、オレのことを大事に思ってくれているのか?)
ラシオスは光に満ちた剣先をリィに向ける。
「貴様を倒し、私がガランダスを解放する!」
ラシオスとガランダスⅣ
-
リィの攻撃を凌ぎながら好機を窺う中、ラシオスはガランダスの言っていた戦の事を想い起こしていた。
あの時、戦場で戦えなくなるほどの深手を負い、それでもガランダスは戦場に立ち続けようとした。
(誇り高い私の龍。こんなところでお前を失いたくない)
だから”戦場に貴様は必要ない”と自ら突き放して強制的に遠ざけた。
今は共に戦えなくとも、傷が癒えればまた次があると信じたから。
しかしその後、ガランダスは忽然と姿を消し召喚に応じることはなかった。
(そしてお前は今、捕えるべき者の契約龍となっている)
「あの時の出来事が切っ掛けで今のお前があるのなら、全て私のせいだ」
戻れと言うつもりはない。敵として立ち塞がるならば全力で倒すつもりだった。
「……だが、その娘のせいでお前が傷付いているのなら話は別だ!」
彼女の言葉に、ガランダスは大きく動揺する。
「私の戦友から離れろ、龍契士!」
猛攻を受けリィの動きがわずかに遅れた瞬間を見逃さず、ラシオスは大剣をかざす。
振り下ろされる刃。しかし、それを真正面から受けたのは。
「グ……ァアッ」
……リィを庇うようにして間に入ったガランダスだった。
ラシオスとガランダスとリィ
-
ガランダスはリィを庇い、ラシオスの一撃を真正面から受けた。
『龍……龍はダメなノ……滅ボさナきゃ……』
リィは視界いっぱいに映るガランダスへひたすら影爪を放つ。
しかしそれを避ける事なく、全てをその身で受け止めた。
「ガランダス! そこをどけ、いくらお前でもそれ以上は……!」
「……ラシオス。アンタはオレを棄てたわけじゃなかったんだな」
(アンタがどうしようもなく不器用で言葉下手なのは、オレが一番知っていたはずなのによ…)
ラシオスの本心に憎しみが薄れていく中で、ガランダスは思い知った。
彼女の行動を疑い、共に戦い続けなかった自分に後悔していた事を。
小さく苦笑したガランダスは、攻撃を止めないリィに巨体を向けて、そのまま大きな手で抱きしめる。
「お嬢に会わなかったら、オレは今の言葉も信じる事なく人を……アンタを憎み続けただろう」
あの戦の後、リィと出会い共に過ごして、もう一度信じようと思えるようになれた。
今はこの少女の家族になりたいと、守りたいと願っている。
「アンタがお嬢を傷つけるのも、お嬢がアンタを傷つけるのも御免だ。今度は絶対に後悔しねぇ。最後まで……オレがお嬢を守る」
痛みに耐えながらも告げた言葉が届き、ラシオスは静かに剣を降ろす。
そして、もう一人。
『……ガー……さ……ん……』
もう二度と聞けないと思っていた呼び名が、ガランダスの耳に届いた。
迎え
-
出会った頃、うまく名前を呼べなかったリィがつけたガランダスの呼び名。
もう二度と呼ばれないと思っていたその名を聞いて、ガランダスはリィの顔を覗き込む。
「お嬢……」
いつの間にか攻撃を止め腕の中に収まる彼女の目は、変わらず虚ろなまま。
しかしその瞳には、いっぱいの涙が浮かべられていた。
『ガー……さん……リィも……一緒……いたい……よ……』
途切れ途切れの小さな言葉にガランダスが心を震わせ、抱きしめていた腕の力を緩めた時。
「リィを返してもらうわ」
ガランダス達の頭上から、冷ややかな声が響く。
そこには、マジェを解放したキリが鋭い眼差しで佇んでいた。
剣を構え直すラシオスに、キリは忌々しそうな瞳を向ける。
「何者だ!?」
「龍喚士に名乗る名は無いわ。その子は私達の仲間、返してもらうわよ」
「仲間……!? 貴様、龍覚印を奪った龍契士の一人か!」
敵を捕らえようと立ちはだかるラシオス。
しかしキリは、向けられた剣ごとラシオスを一撃で弾き飛ばしリィの前へと降り立った。
「ガランダス、リィの影に戻りなさい」
「……っ」
ガランダスはキリから庇うようにしてリィを抱え込んだ。
言う事を聞く様子がないガランダスを前に、キリは冷徹な表情のまま右手をかざす。
「嫌だというのなら、強制的に戻すまでよ」
その言葉と同時に、マジェがガランダスの巨体を容易く抑え込んだ。
龍覚印の回収
-
ガランダスを影の中へと押し込み、キリは気を失ったリィを抱き上げる。
「その娘を離せ!」
「黙りなさい龍喚士」
倒れながらも抵抗の言葉を発したラシオスに刃を振り上げた。
しかしそれは直前でティフォンの紫剣によって防がれる。
「……貴方、狂幻魔が話していた滅雷龍の契約者ね」
「君は狂幻魔の仲間か……。リィを離してくれ」
「この子を庇うの? 伝説の星海を襲撃し、龍覚印を奪った龍契士の一人なのに」
「それは彼女の本意じゃなかったはずだ」
「そんな風に言える程度にはこの子と仲良くなったのね。……なら話は早いわ」
キリは氷刃をリィへと近付け、ティフォンとラシオスを見据える。
「この子を傷つけられたくなければ、その場から動かないで」
「貴様……っ!」
リィを人質に取られたのでは身動きが取れず、ラシオスも満身創痍。
どうすることもできずにいる彼等に、キリは静かに告げる。
「リィが持つ龍覚印で必要な力が揃う。狂幻魔の創造する『完全なる魔導書』によって、龍のいない世界が実現する。何者にも邪魔はさせないわ」
「……何故、そこまで龍を憎むんだ」
その問いかけに、キリは表情を変える事無く返答する。
「貴方だって故郷を滅ぼしたイルム達を倒すために行動しているのでしょう。……私も同じことをしているだけ」
彼女の答えに、ティフォンは目を見開いた。
「憎むべき相手が違うだけで、私と貴方にそう違いなんてないのよ」
その言葉を残して、キリはリィと共にその場から姿を消した。
同行者
-
聖域へと向かう途中、リクウ達はヴェルドとシルヴィに遭遇した。
ヴェルドはニースに、自身が見たものについて報告する。
「申し訳ありません。愚兄との戦闘中に別の敵の介入があり、龍覚印の奪取に失敗しました」
「あの影からは、得体の知れない気配を感じた。彼も私も、指一本動かすことができなかった」
その場にいたシルヴィも、自分達が対峙した存在の異質さを語った。
リクウは戦闘に介入した者がディステルではないかと問いかけるが、彼の特徴を説明すると二人とも揃って首を横に振る。
「まだ私達も知らない敵がいるということか……」
「隊長、敵の動向について何か進展があったのですか」
困惑の表情を見せるヴェルドに、ニース達は知り得た情報を一通り説明する。
「私達はこれから聖域へと向かう。ヴェルド、君はどうする?」
「……龍覚印奪取の任務を継続します。あの愚兄をもう一度投獄するのは僕の役目ですから」
「わかった。そちらは君に任せよう」
ニースの了承を得て、ヴェルドは再び兄を追い天城へと向かう。
そんな彼とは別に、シルヴィはリクウ達へ同行を申し出た。
「貴方達について行けば、イルムの背後にいる存在について知ることができるかもしれない。私は風龍王の龍契士として彼女を護ると決めたの。継界から龍を滅ぼすなんて、絶対にさせない」
「わかりました。では、共に参りましょう」
「ふぅん。君が行くのなら僕もご一緒させてもらおうかなぁ」
シルヴィの同行を歓迎したリクウ達の後ろで軽薄な声が響く。
今までずっとシルヴィの後を追いかけていた、アーミルだった。
救出
-
聖域に辿り着いたリクウ達は、魔龍の軍勢と交戦するツバキ、スミレの姿を見つけた。すぐにリューネ達が加勢する中、リクウは聖域の守護者の気配が弱まっている事に気づく。
「ここは私とリューネ殿が引き受ける。シルヴィ殿は彼と共に守護者の元へ向かってくれ!」
ニース達に戦場を任せ、中心部へと向かったリクウとシルヴィ。
2人が辿り着いた先で目にしたのは、傷だらけの龍喚士とその側で倒れ伏すミルだった。
周囲の状況を確認し、リクウはすぐに彼女達へと治癒術を施していく。
「貴方……は……」
「僕はミルの知人です。貴方は……転界のかたですね。一体何があったのですか」
彼等が敵ではないと判断したカエデは、朦朧とする意識を保ちながらリクウ達に敵の襲撃があった事を伝えた。
「申し訳ありません。なんとか侵入者を退かせる事はできたのですが、彼女は……」
「……」
後悔と悔しさを滲ませるカエデ。
リクウは彼女をシルヴィへと預け、倒れたままのミルの側へ寄り容体を確認すると、額にしわを寄せる。
「殆どの魔力を奪われています。そのせいで、時を操る力が暴走しかけている」
このままでは周囲の時の流れに変化が生じてしまう。
リクウはわずかに思案した後、意を決し己の契約龍へと声をかけた。
「リョウエン、手伝っていただけますか」
『勿論です。それを貴方が望むのならば』
その返答に小さく微笑み、リクウはミルへと両手をかざして自ら魔力を注ぎ始めた。
「リョウエンの生命力を魔力に変換して彼女へ渡します。せめて力を保てるようになるまで回復できれば……!」
リョウエンの炎がミルの身体を包み込んでゆくのを見つめながら、リクウはその場に漂っている闇の痕跡に困惑の表情を浮かべる。
その力の痕からは、懐かしい気配が感じられた。
鍵Ⅰ
-
聖域の外にいる魔龍の軍勢を倒し、ニースやスミレ達も聖域の中心部へやってきた頃。
リクウの力によって魔力を得たミルが意識を取り戻した。
「ありがとうリクウ。貴方がいなければ、私は力を暴走させてしまっていた」
「いいえ。それにしても貴方のその姿を拝見するのは、とても久しぶりですね」
「今は時空の制御と聖域の守護に力の殆どを使っているから」
少し恥ずかしげに苦笑した後、ミルはこの場に集まるすべての者に襲われた時の事を話す。
「一瞬で魔力の殆どを奪われた。意識を失う寸前に感じたのは、侵入者から僅かに発せられた狂幻魔の気配だけ」
「やはり相手はイルムの手の者だったのだろうか」
ミルの話から、リクウはある仮説を立てる。
「イルムは“完全なる魔導書”創造のために必要な「龍の書」を生み出す材料を集めている。ニースさん、奪われたのは全部でいくつですか」
「第五、第七、第八、第九の四つだ」
その返答にリクウは首を横に振る。それだけでは足りないのだ。
不足している材料を、イルムはどうまかなうつもりだったのか。
「時空に干渉できる貴方の魔力は、龍覚印以上の力といえます」
「……イルムは私の魔力を足りない龍覚印の代用にするつもりなのね」
この仮説が正しければ、「龍の書」に必要な要素はイルムの元に揃いつつある。
“完全なる魔導書”の完成まで、あとわずかしかない。
「奴等の思い通りにはさせない。イルムが魔導書を創る前に、龍覚印を奪還してみせる」
「このまま放置しておくわけにはいかないわ」
イルム達の企みを阻止するべく、ニースやリューネ達は天城へ向かおうと意気込みを見せる。
そんな中、ミルは不思議そうな面持ちでリクウへと向き直った。
「貴方が紅葉山から出てくるとは思わなかった」
「僕もできれば出たくはありませんでしたが……事情が変わりました。僕は貴方に聞きたいことがあって聖域に来たのです」
予期せぬ事態で後回しになってしまっていたが、リクウは元々ここへ来た理由を彼女に説明する。
「ディステルがあの人を継界へ戻そうとしています。しかし、彼が封じられた空間は完全に閉じられているはず。もし何らかの方法があるのなら教えて頂けませんか。貴方なら何かご存知だと……。あの時、龍王達と共にあの人を異空間へ封じたミル、貴方なら」
彼女は僅かに目を見開き、そしてゆっくりと首を横に振る。
「あの空間を開く方法は無い。……その鍵は、とうに失われているはずなのだから」
鍵Ⅱ
-
かつて継界と異なる世界には、別の空間を開く特殊な力を持つ一族が存在していた。しかしその者達は、彼等がいた世界ごと滅ぼされてしまったという。
「鍵の力は血によって受け継がれてきたもの。一族が滅んだことで、その力も絶えているはず」
「……では、ディステルは一体どうやってあの人を継界に戻すつもりなのでしょう」
心当たりが浮かばず、一同の間に沈黙が流れる中。
軽薄そうな声がその静寂を打ち破った。
「ねぇハニー、ちょっと確認したいんだけど」
「その呼び方はやめて。……って、貴方こんな所まで付いて来たの!?」
背後にひょっこり現れたのは、シルヴィを付け回していたアーミルだった。
目を白黒させる彼女に、ニースは不思議そうに首を傾げる。
「なんだ、その者はシルヴィ殿の連れではなかったのか? ずっと君の後に続いていたから、てっきり従者か何かだと思っていたが」
「そうだね、僕はハニーの愛の従者と言っても過言ではないよ」
「違う」
「うーん今日もハニーはツレナイなぁ、そこがまた良いんだけどね。……まぁ、今はそんなことを言っている場合でもなさそうだから、言葉遊びはまた今度にしようか」
へらりと軽薄な笑みを浮かべながら、アーミルは気にかかっていた事について問いかけた。
「そこの可愛い彼女が言っている一族は、どんな空間も自在に入り込む事ができる能力を持っていると言う事で間違いないかい? それこそ、次元の狭間なんて場所も簡単に入り込めるような」
「話を聞く限りではそうだと思うけれど、それがどうかしたの」
アーミルはある少女の姿を脳裏に描く。
「まさかとは思うけど……それってうちのお姫様の事だったりするのかなって」
彼が思い浮かべたのは己の主である獄幻魔の娘、ロミアのことだった。
鍵Ⅲ
-
かつて獄幻魔が滅ぼした世界で拾った少女、ロミア。
次元の狭間にも容易に入り込む力を持った彼女が、もし鍵の力を受け継ぐ一族の生き残りであったとしたら。
「……ディステルが彼女を狙っているかもしれません」
「じ、冗談じゃないよ!? お姫様に何かあったら僕、ズオー様に滅ぼされる。いやその前に、スカーレットに魔獣の餌にされかねない……。ゴメンねハニー、僕がいなくて寂しくなるだろうけど、すぐに帰ってくるから少しの間だけ我慢してね!」
「全然寂しくないし帰ってこなくていいから早く行って」
顔を真っ青にしながら獄幻魔の居城へ帰ろうとするアーミルの後ろで、リクウも翼を広げる。
「ディステルが姿を現すかもしれません。僕も彼と共に獄幻魔の居城へ行きます」
「承知した。私は各地に散らばっている直属部隊の隊員達を一度集め直し、天城へと向かう」
それぞれが次に向かう先を定める。
そんな中、ミルはそっとリクウの側へ寄って言葉をかけた。
「貴方に伝えなくてはならないことがある」
「……ミル?」
「私を襲った影から漂っていた気配。あれは紛れもなく、貴方達がよく知る人のものだった」
彼女の言葉に、リクウは目を見開く。
「私は聖域から離れられない。だからリクウ、どうか今度こそ彼を止めて。龍を憎み、龍を滅ぼそうとしているのは」
彼女が告げたそれは、リクウが一番聞きたくなかった者の名前だった。
獄幻魔の娘Ⅰ
-
無事に次元の狭間から居城へと戻ってきたズオーとロミア。
そんな二人を笑顔で出迎えたのは、ズオーの配下であるスカーレットだった。
「お帰りなさいませズオー様、姫様。本当にお二方ともどれだけ心配したと思っていらっしゃるのですか。特に姫様?」
「ひゃっ!? ご、ごめんなさいスカーレット姉様」
ロミアへ愛情のこもったお説教をひとしきり終えたスカーレットは、再び玉座へ着くズオーを見て首を傾げた。
「……姫様、次元の狭間で何かあったのですか? ズオー様の雰囲気が少し変わったような気がします」
「お父様はもう一度、龍契士のかたと戦いたいのだそうです」
「ズオー様が、破壊以外の目的をお持ちに……」
スカーレットは目を丸くして主を見つめる。
常に本能に従って行動してきた獄幻魔がこのような目的を得たのは、彼女が知る限り初めての事だ。
「私もお父様の願いが叶うようにお手伝いします! スカーレット姉様も、力を貸してくださいますか?」
「承知いたしました。わたくしもズオー様や姫様のお力となりましょう。不在のアーミルも呼び戻さなくてはいけませんね」
「ありがとうございます、姉様!」
嬉しそうに顔を綻ばせる彼女の頭を撫でようとした時。
「ロミア!」
ズオーの叫びと同時に、彼女の背後に人影が現れた。
『鍵の生き残りが、獄幻魔の娘になっていたとはな』
広間に姿を見せたのはディステルだった。
「姫様!」
突如として現れた侵入者を前に、スカーレットはロミアを引き寄せようとする。
しかしその手が届く前に、ディステルの龍が彼女を吹き飛ばした。
壁に叩きつけられたスカーレットに悲鳴を上げ、走り寄ろうとするロミア。
しかし彼女の行動をドロリとした龍が遮る。
ディステルが自身にとってよくない存在だと直感したロミアは、警戒の色を滲ませる。
「貴方は……誰、ですか」
「道具に名乗る必要はない」
ディステルは冷ややかにそう言うと、彼女へとゆっくり手を伸ばす。
この手に捕まってはいけない、けれど体が動かない。
「その娘に触れるな」
そんなロミアを恐怖から解放したのは、力強い父の手だった。
獄幻魔の娘Ⅱ
-
ロミアを庇うように割り込んだズオーの刀がディステルへ振り下ろされる。
それを寸前で避けたディステルは、氷のような瞳で彼等を睨みつけた。
「獄幻魔か。彼に創られた破壊の獣が、道具に情を移したとは。笑える話だ」
ディステルの体内から伸びる無数の龍が、牙を剥いてズオーへと襲い掛かる。
しかしそれらは標的に届く手前で、地面から生えた巨大な植物達に遮られた。
「姫様、ズオー様、ご無事ですかー!?」
「アーミルさん!」
ズオーの後ろに隠れていたロミアが歓喜の声を向ける。
広間に飛び込んできたのは、居城に辿り着いたばかりのアーミルだった。
「今まで何処に行っていたのですかアーミル!」
「怒らないでよスカーレット。これでもお姫様とズオー様の為に、急いで戻ってきたんだから」
笑いながらズオー達の側へと走るアーミル。
その後ろに続いてリクウも到着し、ディステルと対峙する。
「やはり鍵を手に入れようとしていたのですね。しかし諦めた方が良いのではありませんか? 貴方一人で獄幻魔達と戦うのは得策ではないでしょう。無論、僕は彼等の側に付きますよ」
リクウが龍筆を手にし、獄幻魔達もロミアを守ろうとそれぞれ戦闘態勢をとる。
しかしディステルは逃げる素振りも見せず、静かに彼等を見下した。
「確かに貴様の言う通り、ここは大人しく引き下がるのが賢明だろう。……ただしそれは、私が一人であったらという場合の話だがな」
「なっ……!?」
ディステルの言葉と同時に、リクウ達にとてつもない力の重圧が襲い掛かる。
全員が地面に倒れ伏し、身動きが取れない。
何とか首を動かしディステルへと視線を向けたリクウが目にしたのは、彼の隣で気を失ったロミアを抱えているラジョアの姿だった。
「姫様!」
(お姫様の側にはズオー様がいたはずなのに、いつの間に……!?)
スカーレットとアーミルは主の方へ顔を向け、愕然とする。
あの獄幻魔が地に膝をつき、身動きが取れなくなっていたのだ。
「所詮は創られた存在。私が手を下さずとも、創造主の意に添わぬ獣はいずれ排除されるだろう。それまで大人しく地に伏しているがいい」
そう吐き捨て、ディステル達は共にその場を去ろうとする。
ラジョアに抱えられながら、僅かに目を開けたロミアはぼやけた視界に映る父の姿に手を伸ばした。
「……お父……様……っ」
「ロ……ミア……グ、グォォ……ッ!!」
娘の声に、ズオーは重圧のかかる身体を無理矢理動かし、刀を振り上げる。
その殺気を感じ振り向いたラジョアを、執念をのせた刃が真正面から斬りつけた。
「……っ!?」
不意の一撃を受け、二、三歩背後へと後ずさる。
しかし万全の状態ではなかったズオーの攻撃は浅く、ラジョアの仮面に大きなヒビを入れた程度だった。
ヒビは仮面全体に広がり、パラパラと音を立てて砕けていく。
そこから現れた顔に、リクウは目を見開いた。
「……やはり……貴方、なのですか」
「……」
ラジョアは片手で自身の顔を覆うと、そのまま踵を返してディステルと共に広間を去ろうとする。
娘の手を掴もうとしたズオーも、さらに強い重圧がかけられ、手が届かない。
「待ってください! どうして貴方なのですか!? 何故こんな事を……。お願いです、答えてください!」
「……」
リクウが必死に叫びかける。
しかしラジョアは一度も彼に振り向く事無く、ロミアを連れ静かに姿を消した。
龍の章【天城へ】
-
ロミアが連れ去られた後。
広間に重苦しい空気が漂う中、アーミルは慌ててリクウに掴みかかると、身体を勢いよく揺らしながら問いただした。
「ちょっと君、あの連中と知り合いなんだよね!? あの得体の知れない奴何なのさ!? お姫様どこに連れてったの!?」
「ウェェェ止めて目が回る揺らさないで! か、彼等の行先なら多分わかりますから!」
リクウはなんとか腕を振りほどき、小さく息を吐いて彼等へと向き直る。
「ディステルの狙いは彼女の持つ鍵の力で閉じられた空間を開き、『完全なる魔導書』を使ってこの世界から龍を排除する事。彼等はこれらを同時に行う為に、創書の悪魔であるイルムの天城へ向かったはずです」
イルムという名に、ズオーがピクリと反応を見せた。
大きな身体をゆっくりと起こし、握りしめていた黒刃の切っ先をリクウへと向ける。
「何故、龍契士が我等に協力する」
「……僕はディステル達を止めたいのです。ロミアさんを取り戻したい貴方がたと利害は一致しているはずでしょう」
視線をそらす事なく交渉を持ちかけてくる彼に、ズオーは静かに刀をおさめ控えていたスカーレット達に命を下す。
「ロミアを連れ戻す」
「御意。全てズオー様の御心のままに」
獄幻魔達が動き出す様を眺めながら、リクウはその場で龍筆を走らせいくつかの手紙を折鶴にして空へ飛ばす。
「間に合えばいいのですが……」
龍の章【再会】
-
天城の薄暗い通路で6号は頭を抱えうずくまっていた。
ガディウスに魔浄の左手で殴られてから、見た事のない映像が脳裏を駆け巡る。
締め付けられるような痛みが襲い、息を荒げながら呻く彼の耳に何者かの声が響く。
『…ゥラ……オマエハ……彼女ノ……』
今まで言葉を発さなかった契約龍ヴァンドだった。
声が聞こえるたび、6号は知らない記憶と自分でも分からない感情に襲われる。
「モウ……嫌ダ……」
混乱の中で悲痛な声が零れた、その時。
6号の目前の通路が大きな音を立てて破壊された。
「フフ、フフフ。ターゲット、発見しました」
通路の壁に空いた大きな穴。
そこから現れたのは、龍覚印奪還を命じられたイデアルだった。
「これより任務を開始します」
攻撃を跳び避け態勢を立て直した6号は、目の前で不穏な笑みを浮かべる彼女の顔に、無意識に目を見開いた。
「フフ、アハハ!」
繰り出される攻撃を避けられず、真正面から受け身体が吹っ飛ぶ。
彼女の顔を見た瞬間から、何故か龍腕が動かない。
応戦しようと見る度に心がざわつき、苦しくなっていく。
動揺がやまない6号の耳に、またヴァンドの声が響いた。
『ヤメロ……オマエタチハ……』
「ウルサイ……ッ! ウルサイ、ウルサイ、黙レ!!」
ヴァンドに叫び、6号は動かない腕を無理矢理イデアルへ振り当てようとする。
それに対抗するように、彼女も術を発動しようと杖を掲げた。
二人の力がぶつかり合う、その瞬間。
『ヤメロ……ヤメテクレ……ゥラ、イデアル!』
ヴァンドの悲痛な叫びに、ピタリと二人の動きが止まった。
龍が発した、知らないはずの二つの名前。
6号の脳裏に、膨大な記憶が一気にフラッシュバックする。
本に囲まれた館。小さな龍達。慌ててばかりの少女。それを静かに見守る巨大な龍。暖かな場所。溢れる笑顔。走る痛み。壊れた部屋。龍の咆哮。誰かの嘲笑。伸ばした手。
自分の目の前で涙を流す、ひとりの……。
「ウアアァアアァァァッッ!!!」
流れ込む映像全てにのまれるように、6号は我を失った。
龍の章【到着】
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「到着ー! へぇ、ここが天城なんだね!」
グライザーの背に乗り、二人は目的の場所に到着した。
興味深げにあたりを見回す彼女を見つめながら、クーリアはニコリと口角を上げる。
彼女を足代わりにすることはできた。後は何の目的でここへやってきたのか聞き出した後、自分達の邪魔になるようであれば隙を見て排除してしまえばいい。
人好きのしそうな笑みを張り付けて、きょろきょろと周囲を眺めていた彼女に話しかける。
「プラリネさん、こちらに何の御用があるのかしら。よろしければ私が天城をご案内して差し上げますわ」
「本当! それは助かるなぁ」
喜ぶ彼女を前に、クーリアは心の中でほくそ笑む。
彼女の思惑を知らぬまま、プラリネが自身の目的を話そうと口を開いた、その時。
「ガァアアアアッ!!」
突然、二人の真上から空を破って何かが降ってきた。
「わひゃぁっ!?」
「……っ!?」
とっさに飛び退き間合いを取った二人は、それを見て目を丸くする。
「ガ……ッァア……グアァアッ」
「……あら」
クーリアは口元に手を当てて驚く。
仲間である6号だったのだ。しかし、どうやらいつもと様子が違う。
とっさに声をかけようとするが、今度は6号が空けた穴から彼を追ってイデアルが現れた。
(これは……よくありませんわね)
イデアルの姿と我を忘れ苦しむ6号に、状況を理解したクーリアはため息を吐いた。
「うーん? んんんー? あれれ……」
6号の無秩序な攻撃を避けながら、プラリネが首を捻る。
彼女が続けて言葉を発する前に、クーリアは彼女達の間に割り込むようにして6号の前へ出る。
「まったく手間がかかる子ですわね、少し大人しくなさい」
「ウ、ガァッ!?」
彼女の背から出現した龍腕が身体を抑え込む。
その衝撃で6号が意識を失ったのを確認すると、彼女はくるりと振り向きプラリネに微笑んでみせた。
「残念ですが、貴方に構っている暇がなくなってしまいましたわ。これで失礼いたします」
「え、あ、うん?」
「……逃がしません」
状況が掴めずポカンとしているプラリネの横からイデアルが前に出る。
しかしその時、かすれて消えかけそうな声と共に、ぽたりと一滴の滴が地面に落ちた。
「オ母……サン……」
気を失っているはずの6号の言葉に、イデアルの足がピタリと止まる。
そんな彼等を横目に、クーリアは彼を連れて闇の中へ溶けていった。
二人の姿が消え静寂が辺りを満たす中、イデアルは茫然と両手を見つめる。
「……私、何故動けなくなったのでしょう」
とても大切なものを忘れている気がする。けれどそれが何かは、わからない。
しばらくした後、イデアルはゆっくりと顔を上げた。
「任務を、遂行しなければ」
ぽつりと一言をこぼして、イデアルはクーリア達が消えた方向に去っていった。
一人残されたプラリネは、ただ目を丸くして皆が消えた方を眺める。
「うーん、なんだかとっても大変な事になってるみたいだねぇ」
『ご主人、手を出す気か』
「出したいけど、今は我慢! ボクはボクの目的を果たさなくちゃいけないからねっ!」
プラリネはグライザーの背に乗り、飛び去った。
一冊の本をその手に抱えて。
龍の章【特別】
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「ただいま戻りましたわ。……あら、まだ貴方がたしかいませんの」
気絶した6号を抱えて天城の中枢に帰還したクーリアを出迎えたのは、気を失ったロミアを水晶体に閉じ込めていたディステル達だった。
6号の異変に気付き、ラジョアがそっと側へ近寄る。
「……」
「何をどうしたのか知りませんけれど、暴走しかけていたので回収してきましたの」
呆れながら6号を床へ降ろした彼女の話を聞き、ラジョアは彼の頭に手を添える。
その様を横目で眺めながら、ディステルは6号の状態を視診した。
「その者にかけられた制御術が解けているな。記憶を取り戻しかけている」
「あら、それは可哀想に。誰だか知りませんが無慈悲なことをするものですわね。記憶なんて取り戻してしまったら、きっとこの子の心は壊れてしまいますのに」
演技じみた彼女の言葉に、ディステルはため息混じりに肩を落とす。
そんな彼等をよそに、ラジョアは掲げた手から闇の力を注ぎ込んだ。
「ウ……ウゥ……」
闇がゆっくりと彼を侵食し、やがて6号は穏やかな寝息を立て始める。
その様子をうっとり眺めながら、その場にいたもう一人が笑い声をあげた。
「クフ、フフフッ、あぁカワイソウなコ。いっそのこと完全に壊してあげた方が幸せなんじゃない。アタシがキレイにぶっ壊してあげようかぁ」
「やめろ。今、壊すわけにはいかない。神殺しの業を背負う龍と龍喚士の血を持つ存在から生まれたこの者もまた、鍵と同様に必要なのだから」
(壊すのなら、必要がなくなったその後ですわ……)
二人の会話を聞きながら、クーリアは楽しそうに笑みを浮かべて何も知らずに眠る6号を見つめた。
龍の章【白紙の書Ⅰ】
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6号から逃げた後、ガディウスとサリアはイルミナの書庫に身を隠していた。
本を傷つけなければと許可を出してくれた彼女に感謝しながら、サリアは自分達と同じく書庫の隅を間借りしている女性に目を向ける。
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。転界の龍喚士、カンナと申します。故あって天城内部に潜伏し情報を集めております」
「え、あ、ハイ……」
丁寧な挨拶に戸惑いながら、サリアはこっそりガディウスに耳打ちする。
「ちょっと、あの人信用して大丈夫なの?」
「オレも詳しくは知らねえが、敵じゃねぇのは間違いねぇよ。イルムの転移術で飛ばされそうだったオレを助けてくれたのもこいつだからな」
あの時、ガディウスだけ転移術の影響を受けず天城へ残ることができたのは、状況を観察していたカンナがとっさに護符を展開し、ガディウスを術から保護したからだった。
「私の力ではおひとりしか守護できず、申し訳ありませんでした」
「心配ねぇさ、兄貴ならすぐに天城へ戻ってこられるはずだ」
兄へ全幅の信頼を寄せるガディウスにカンナは小さく微笑みを浮かべると、二人に状況を伝える。
「私がこれまで得た情報ですと、イルムが欲していた“龍覚印”のほとんどが天城へ集結しつつあります。それに加えてもうひとつ。天城に、獄幻魔の娘らしき姿を確認いたしました」
「……!」
その言葉に、今まで黙っていたイルミナの耳がピクリと動く。
「おそらく彼女の力を使った思惑があるものと推察いたします」
「チッ、現状はイルム達の思い通りに事が運んでるってことか。気に入らねぇな」
「どうにかしないと、このままでは完全なる魔導書が完成してしまうわ」
全員が打開策を考える中、イルミナも作業机に飾られた小さなぬいぐるみを見つめる。
それは自分を友達と呼んでくれた少女が贈ってくれたもの。
(……ロミア)
イルミナの小さな手がぬいぐるみにそっと触れた、その瞬間。
「発見ー!!」
書庫の壁を突き破り、プラリネが勢いよく突撃してきた。
「オイオイ、いきなり何だ!?」
「敵襲!?」
各々はすぐに迎撃の態勢をとる。
しかし突撃した本人はヘラヘラと笑いながら砂埃の中から姿を現した。
「ここが天城の書庫かぁ! やーっと辿り着けたよ」
「……女の子?」
のんきな声に全員がポカンとした顔を見せる。
プラリネはそんな彼女達を気にも留めず部屋を見渡すと、ぱぁっと顔を明るくしてイルミナの前へやってきた。
「やぁ! ボクはプラリネって言うんだ。アナタが魔導書を管理する悪魔さんかな?」
「……」
黙ったままこくりと頷いた彼女に、プラリネは手にしていた本を差し出す。
「時空の魔術師さんから、アナタへのお届け物だよ!」
龍の章【白紙の書Ⅱ】
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渡された一冊の本。イルミナはその装丁に見覚えがあった。
「これはアルス=ノウァのもの……」
自身が改編した魔導書に宿る姫を思い浮かべる。
プラリネは言った。この本の所持者であるウィジャスから、届けてほしいと依頼を受けたのだと。
「で、中身は何が書かれているんだ?」
ガディウスに催促され、ページをめくる。
しかしその本は全て……。
「……白紙?」
一緒に覗き込んでいたサリアが目を丸くした。どのページにも何も書かれていないのだ。
皆が困惑する中、イルミナだけはその本から溢れ出る強い力に眉を寄せる。
「……この本について、魔術師は何と言っていたの」
彼女の問いに、プラリネは笑顔で答える。
「彼はこう言っていたよー。この本は神々の力が込められた特別な本。“完全なる魔導書”に対抗し得る唯一の力となるかもしれないんだって」
その言葉に全員が反応を見せる中、彼女の言葉は続く。
「ただ、本はまだ完成してないんだってさ。魔術師さんは言っていたよ。これはその土台に過ぎない。 “神の書”に改編して、初めて『完全なる魔導書』に対抗できる……ってね!」
つまりイルムが創る魔導書に対抗する為の本に創り変えろということだ。
イルミナはじっと本を見つめる。出来なくはない。可能性はゼロではない。
けれど彼女にとっては、創造主であるイルムを超えるような行為だった。
(成り損ないの自分に、そんな事ができるのか)
迷いを見せるイルミナの手元に、ぽろりと小さなぬいぐるみが落ちてくる。
先ほど手に取ろうとした、友達からの贈り物。
「……ロミア」
捕われの身となっている彼女を思い、ぬいぐるみをきゅっと握りしめて顔を上げる。
「やってみよう。私のできる限りの力で……この本を”神の書”にしてみせる」
彼女の宣言に、周囲が活気立つ。
皆の様子に笑顔を見せたプラリネは、グライザーの背へと足をかけた。
「話もまとまったみたいだし、ボクはそろそろ行くよ。後はお任せするねー!」
「待って! 行くってどこへ」
呼び止めるサリアに向けて、彼女は浮上する龍の上でふらふらと手を振る。
「実は、本を届けに来たのはついでなんだー。ボクはここにいるかもしれない人に会いに来たんだよ。とっても大切な、一番の友達にね!」
龍の章【裁断者Ⅰ】
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ロミアを救出し、ディステルやイルム達を止めるために天城へと辿り着いたリクウと獄幻魔達は、それぞれ目的の者を見つけ出すべく二手に分かれて先へと進んでいた。
堂々と城門を破壊し進行するズオーにスカーレットとアーミルが続いて行く。
しかし行く手を阻むように、彼等の影を無数の黒い棘が縫い留めた。
「……!」
「クフ、フフフッ。いらっしゃい黒ニャンコ」
足止めを食らった獄幻魔達の前に、暗闇の中から龍に乗った女性が姿を現した。
「クフ、黒ニャンコは大事なお姫様をお迎えにきたのよねぇ。でもざぁんねん、それは叶えてあげられないの。だってアタシが処分しちゃうんだもの」
黒の衣を纏い愉快げにこちらを見下ろす彼女を前に、アーミルとスカーレットが即座に主の前へと出る。
「どなたか存じませんが、ズオー様に対してあまりに不敬ですね」
「女の子は丁重に扱いたいけど、僕ら今とても急いでるんだよね。そこどいてくれないかな」
それぞれ魔獣と植物を召喚し、邪魔者を排除しようとする二人。
しかし彼女はにやりと笑ったまま片手を一振り、それらを薙ぎ払った。
「だぁめ。だって黒ニャンコが悪いのよ? 愛しい愛しいあの人に創られておきながら、与えられた役目以外に心を向けてしまうから。クフ、フフフ。そうよ、だから処分しにきたの。身の程知らずの獣をね」
光の宿らない冷たい瞳がにまりと歪む。
彼女から漂う闇の気配にズオーが鞘に手をかけた、その時。
「発見ー!」
明るい声を響かせ、グライザーに乗ったプラリネが頭上に現れた。
張り詰める空気の中に突如乱入した存在へ全員の視線が集中する。
しかしプラリネは、目の前の彼女だけを見ている。
「やっと見つけたよ。ずーっと会いたかったんだ。ボクの、大事なお友達だから」
いつになく真剣な表情を見せるプラリネに、彼女はしばらく黙った後うっとりとした目を向け、両手を広げてみせる。
「クフ、クフフ。嬉しいわぁプラリネ。アタシに会いにきてくれたのね。アタシもねぇ、アンタにずぅっと会いたかったのよ。だってアタシね」
アンタをずっと、この手で裁きたいと思っていたのだから。
龍の章【裁断者Ⅱ】
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自分を裁く。クスクスと笑いながらそう言ったかつての友を前に、プラリネはじっとこちらを伺っていたズオーに声をかける。
「ごめんね、ボクはロシェと話したいことがあるんだ。ここは譲ってくれないかなー?」
「……」
プラリネの言葉に、ズオーは鞘から抜きかけていた刃を引っ込め、無言のまま踵を返す。
「あらら。逃げちゃだめじゃん、黒ニャンコォ」
その場から離脱しようとする獄幻魔達に、ロシェは大きな袖に隠れた手から無数の棘を放出する。
「よそ見はダメだよロシェ。今はボクとお話してくれなくちゃ!」
獄幻魔に向けられた全ての棘を、プラリネは腕の盾ではじき飛ばす。
ロシェは袖を口元に当てて不満げな声を上げた。
「あーあ、せっかく黒ニャンコがボロボロになるまで遊ぼうと思ってたのに逃げられちゃった。クフ、まぁいっか。ニャンコ遊びはいつでもできるし。今はせっかく会いに来てくれたオトモダチの遊び相手をしなくちゃいけないんだもんねぇ!」
ひどく愉快そうに笑い、彼女は複数の生命体を召喚した。
悲鳴にも似た耳障りな鳴き声に、プラリネを乗せていたグライザーが眉を寄せる。
「ロシェ、ボクは君とお話しにきたんだ。今までどこにいたの? どうしてそんな怖い顔をしているの? ボクを裁くってどういうこと?」
「クフフッお子様みたいに疑問をぶつけてプラリネったら可愛いね。でもダメよ、教えてあげない。だってアタシはもう、アンタのことが大好きだったオトモダチのロシェじゃないんだから」
「ならば、今のお前は何者だと言うのだ?」
プラリネと違う声が彼女へと問いかけた。
聞き覚えのある声にロシェが顔を引きつらせ、プラリネは目を丸くしながら背後へと視線を向ける。
そこには紅色の外套を翻した女性が凛と佇んでいた。
「元気だったかい、私の可愛い弟子達。師が久々に、説教しにきてやったぞ!」
龍の章【裁断者Ⅲ】
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威風堂々と姿を現したヴァレリアは、稲妻が迸る剣の切っ先をロシェに向ける。
「ようやく見つけたぞロシェ、よくない連中とつるんでいるようだな。久々に師の説教を受けたいとみえる。まず行方をくらませていた間の出来事から話してもらおうか。親友のプラリネに殺意を向けている理由もだ」
鋭い師の言葉にロシェは酷く気分を害した様子で、袖で口元を隠し眉を寄せた。
「アタシに指図しないでよ教官サマ。アンタは昔からそうだわ。いつもアタシとプラリネの楽しいひと時を潰して、力任せの鍛錬ばかりさせてきたお邪魔ムシ」
ギリギリと歯を噛みしめ、ロシェの表情が憎悪に染まる。
「あーあ、テンション下がっちゃった。もういいわ、お楽しみはまた今度にするから。今日はお邪魔ムシの排除だけでおしまいにしてあげる」
ロシェは手にしていた鋏で空間を切り裂き、無数の生物を召喚した。
金きり声を上げて蠢くそれらに、ロシェは恍惚とした笑みを向ける。
「クフフ、気高い勇猛な教官サマ。アタシの可愛いお人形さんにたくさん遊んでもらえばいいわ」
ロシェの言葉と共に、生物たちが一斉にヴァレリアへと飛び掛かる。
しかしそれらは標的に触れることなく、二振りの剣と銃弾によって薙ぎ払われた。
「教官に手出しはさせないぞ!」
師を護るようにして、控えていた三人の弟子たちが前に出る。
頼もしい彼等に、ヴァレリアはカラリと笑ってみせた。
「なんだ、お前達も暴れたかったのか? だがここは私一人で十分だぞ」
「アンタはスイッチ入ると周りの状況お構いなしに暴れるでしょ。じっとしててくださいよっ!」
「えぇー少しくらい良いだろう。なぁミラ、私も戦いたいぞ」
「ダメです。ここはあたし達に任せてください……あ、教官! もう大人しくしててくださいってば!」
賑やかな会話を繰り広げながらも、ヴァレリアと弟子たちはロシェが召喚した敵を倒していく。
そんな中、プラリネはグライザーと共にその頭上を飛び抜けた。
「待って、教えてよロシェ! ボクの知ってるロシェじゃないって、どういうこと!」
鋏で切りとった空間の中に姿を消そうとしていたロシェは、彼女の言葉にニヤリと妖艶な笑みを浮かべてみせる。
「可愛いプラリネ、アタシはアンタが大好きだったわ。誰よりも“いちばん”だった。でも、アンタはそうじゃなかったでしょう? あの人はアタシをいちばんにしてくれるって言ったのよ。クフ、フフフフッ。だからねプラリネ」
今のアタシは、あの人のためにいらないモノを処分する裁断者。
その言葉を残して、ロシェはその場から姿を消した。
龍の章【足止めⅠ】
-
ディステルやイルム達を止めるために天城へと辿り着いたリクウは獄幻魔達と別れ、手紙を受け取り駆け付けたリューネ、シルヴィと共に城内に潜入していた。
しかし彼等の前に、侵入者を排除するべくインディゴが現れる。
「忌々しい龍契士どもめ……。イルム様の邪魔はさせないわ」
彼女は無数の魔龍達をリクウ達へとけしかけた。
「今更こんなもので、私達を倒せると思っているの!?」
「無理でしょうね。けれど足止めくらいにはなるでしょう」
シルヴィが斧を振るい、周囲の敵を一掃する。
しかし拓かれた道はすぐさま別の龍が塞ぎ、再び彼女達を取り囲む。
1体1体はそれほど強くない魔龍達も、数が多ければ時間がかかってしまう。
さらに追い打ちをかけるかのように、氷の牢が魔龍もろともリクウ達を閉じ込めた。
「完全なる魔導書が生み出されるまで、しばらく付き合ってもらうわ。すべてはイルム様のために」
捨て身に近しいインディゴに、リクウは焦りを滲ませる。
(獄幻魔の方にも追手はかかっているはず……。ここは力を出し惜しみしている場合じゃない)
龍筆を持つ手に力を籠めた瞬間。
「みぃつけた」
可愛らしい声と共に、見知らぬ少年が炎を纏った刃で堅牢な氷牢を容易く斬り壊した。
「な……何者!?」
突然目の前に現れた少年にインディゴが驚愕の声を上げた。
彼は大きな笠をクイッと上に持ち上げて、茫然としていたリクウに手を振る。
「や! 久しいなリクウ!」
にっこりと人好きのしそうな笑顔で、気心が知れたかのような挨拶。が。
「……誰ですか」
頭上に?マークを飛ばした彼に、少年はその笑みを一層深める。
「うんうんそうか、お前このオレを忘れたのか。後で覚えとけな?」
龍の章【足止めⅡ】
-
インディゴ達の戦いに突如として現れた少年は、リクウのことを知っている様子だった。
しかしリクウ本人は彼を思い出せず、ポカンとした顔をしている。
「オレを忘れるなんざ、良い度胸じゃねぇか。なぁリクウ?」
満面の笑顔できらりと刃を光らせる少年にリクウはビクリと肩を震わせる。
そんな彼の後ろにいる、別の少年少女が声を上げた。
「お前がその恰好のままだからだろ! いつまでガキのままでいるんだよスオウ!」
「あん? ……あぁ、そういやそうだったな」
「アルファ、そんな怒っちゃだめだよ……っ」
「うっせえ、オメガは黙ってろ!」
スオウと呼ばれた少年は、二人の言葉を聞いて自身の身体を眺めながら小さな手をぽんと叩いて納得した。
「しばらくこの姿ばっかだったから、すっかり忘れてたわ」
そりゃあわからねぇよな、と笑って見せる彼にリクウは疑問符を浮かべるばかりだ。
まるでこの場を戦場とも思っていないような彼の素振りに誰もが呆然とする中。
先に動いたのはインディゴだった。
「彼等の味方をするのなら、お前も排除対象よ。行きなさい魔龍達!」
彼女の号令に合わせ、魔龍達が一斉にスオウ達へと群がろうとする。
しかし。
「ア、アルファ……!」
オメガの小さな声と共にアルファの身体が赤く巨大な龍へと変化し、周囲の魔龍を一掃した。
『テメェ等が邪魔なんだよ! 蹴散らすぞオメガ!』
「う、うん……っ」
龍となったアルファをオメガが操り、瞬く間に多くの魔龍を倒していく。
愕然とした様子でその様を眺めていたリクウは、自分達の味方につく理由を尋ねようと彼が立っていた方へ顔を向け、そして大きく目を見開いた。
そこにいたのは、先ほどまでの少年ではない。
「この姿ならわかるだろー?」
リクウの目に映ったのは、青年姿のスオウだった。
「あ、貴方は……っ!?」
少年と同じ笑みを浮かべた彼に、リクウが驚愕の声を上げわなわなと身体を震わせる。
その反応に満足気なスオウはよしよしと頷いた後、アルファの炎に気圧されているインディゴへ向き直った。
「悪いな姉ちゃん。オレちょっとコイツらに用があるんだよ。邪魔しねぇでくんねぇ?」
「ふざけないで! みすみす敵を見逃すわけがないでしょう」
「あっそ。んじゃ、しょうがねぇなー」
ゆっくりと彼の瞼が開く。
その瞳から漏れる気配にインディゴの背筋がぞわりと粟立った。
恐怖に突き動かされ、残りの魔龍で盾を張ろうとするがもう遅い。
「アンタもオレと同じ色に染まりなよ」
スオウは手にしていたキセルを刀に変え、一撃でインディゴと魔龍を斬り倒した。
全ての敵を倒した後。
スオウは再び刀をキセルへと戻して一息つくと、何事もなかったかのような顔をしてリクウ達に振り返った。
「んじゃ、さっさと用を済ませちまおうかね」
「よ、用事……?」
状況が掴めず戸惑いの表情を見せていたリューネとシルヴィに、彼は満面の笑みを浮かべてみせる。
「龍王からアンタ等に。稀代の細工師が魂込めて造り上げた、龍玉の贈り物だぜ」
龍の章【龍王の贈り物】
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スオウからリューネとシルヴィに、それぞれ手渡された龍玉。
その中に込められた力を感じ取り、トアとクァージェが反応を見せた。
『おいシルヴィ、その龍玉をテメェの翼で覆え』
『我ガ青キ契約者ヨ 還爪ヲ玉ニカザセ』
二体の呼びかけに、リューネとシルヴィは戸惑いながらも言う通りにする。
すると、彼女達の魂に呼応して龍玉の力が二人へ流れ始めた。
その様子を満足気に眺めていたスオウへ、リクウは恐る恐る声をかける。
「……お、お久しぶりですスオウ殿」
「おうリクウ、さっきはよくもオレに”誰ですか”なんてナメた口きいたな? とりあえず一発」
「痛い!」
ベシッとキセルで一撃を喰らい、リクウはヒリヒリ痛む頭を擦りながら涙目でにらむ。
「貴方の幼子姿は見たことが無かったんですから、わからないに決まっているじゃないですか!」
「うるせぇ、気合で察しろ」
「理不尽!」
妙に威圧的な笑顔の彼にこれ以上言ってもまたキセルを見舞われるだけだと、リクウはため息を吐いて話を戻す。
「……で、なぜ貴方が届け物などしているんですか」
「ああ、龍王達に頼まれてな。大事な娘っ子に力を貸したいんだそうだ」
そう言って龍玉の力を受け入れている二人を眺めながら、スオウは彼女達の龍王を思い浮かべる。
意志を尊重し静かにリューネを見守ってきたヴォルスーン。
シルヴィを愛し自由を与えたリンシア。
本来、龍王は世界のバランスを維持する為だけに力を尽し、それ以外の事象に力を使うことも、何者かに情をかけることも許されない。それでも。
「世界の安定より身内の助けになりたいっていうんだから、龍王も随分と感情豊かになったもんだよなぁ」
「……そうですか」
(不変だった龍王の心も、変化してきているということなのでしょうか……)
その心が彼女達にどのような未来をもたらすのだろう。
リクウは目を細め、新たな力を得ようとしている二人を見つめた。
龍の章【嵐鷹龍の意志】
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龍玉により、シルヴィを通じて魂の共鳴を果たしたクァージェに龍王の声が届く。
『あの子の願いはボクに届いた。次はキミの番だよ、願いは決まったかな』
リンシアは愉しげに笑いながら問いかけた。
『キミは自由を好む気高い龍だ。彼女から解放されたいと言うのなら、その願いを叶えてあげることだってできるよ』
クスクスと笑う声に、相変わらず遊びが過ぎる龍王だと舌打ちする。
かつて彼女は弱々しい魂との契約を命じて、自身をシルヴィの魂に縛り付けた。
クァージェは自由を愛する嵐鷹龍。
願いが叶うというのなら、シルヴィからの解放を望んでいただろう。
……ただしそれは、彼女の願いの強さを認める前の自分だったらの話だ。
クァージェは試すようなリンシアの口ぶりににやりと笑みを浮かべて、答えを出す。
「今のシルヴィはアンタから巣立って、ようやく空に飛び立ったばかりの小鳥だ。まだまだ危なっかしくて放っておけやしねぇ。だからもうしばらくはこのオレが、アイツの翼になってやるんだよ」
“生きたい”という願いの強さを認め、共に空を駆けたクァージェの言葉を聞き、リンシアはほんの少し黙った後、とても楽しそうに笑い声をあげた。
『同じだねクァージェ。ボクもキミも、あの子を愛している。あの子が自由の空を飛び続けることを願っている』
「アンタと一緒ってのは気分がよくねぇな」
『フフッ。つれないことを言わないでよ、ボクの可愛い小鳥さん。キミの願いをボクが叶えてあげる。だってそれはボクの願いでもあるんだから』
風龍王の力がクァージェに流れ込む。
彼女の魔力を纏った風の翼に苦笑して、クァージェは龍玉を介して会話を聞いていたであろう今にも泣きだしそうな主に声をかける。
「お前の背中はオレ達が守ってやる。だから自由に空を駆けろ、シルヴィ」
龍の章【溟鮫龍の意志】
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龍玉により、リューネを通じて魂の共鳴を果たしたトアに龍王の声が届く。
『全テヲ還ス汝ノ力 削ガレテイル』
ヴォルスーンは静かに、トアの魂に刻まれた傷を指摘する。
それは、ディステルの龍が還爪の力を奪った際についた傷だった。
『最早 還爪ノ力ハ皆無。彼ノ者ノ志ハ 果サレズ終焉カ』
ヴォルスーンの問いかけに、トアはかつて自身と契約を果たした存在を思い浮かべる。
龍と人との争いで傷つき彷徨う魂たちを輪廻の輪に還すため、ヴォルスーンが選びトアと契約した先代の青龍契士。
彼女は多くの魂を輪廻の輪に還したが、それは龍王に与えられた使命を果たしていただけにすぎない。トアは彼女が本当の願いを見つける日を待っていたけれど、結局最後まで願いが見つかることはなかった。
その少女の血と力を継いだリューネは、与えられた力に戸惑い、悩みながらもようやく自分自身の願いを、志を見つけている。
「我ガ青キ契約者ハ 未ダ道ヲ失ッテハイナイ」
ヴォルスーンの言葉を否定し、トアは大きな身体を揺らめかせる。
『我ハ最後ノ刻マデ 我ガ青キ契約者ノ行ク道ヲ見届ケル』
リューネの願いを最後まで見届けたいと強く望むトアに、ヴォルスーンは呼応する。
『汝ガ願イ 聞キ届ケタ 我等ガ青キ契約者ノ行末ヲ 共ニ見届ケヨウ』
トアに海龍王の力が流れ込む。
誕生と進化を司る海の力は魂の傷を癒し、新たなる還爪の力を生み出した。
『ありがとう。海龍王様、トア』
一瞬聞こえたその言葉は、龍玉を介して龍王達の会話を聞いていたリューネのものか、それともかつて青龍契士だった彼女の母のものか。
トアは静かに、契約者の魂に寄り添った。
龍の章【頼みごと】
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リューネとシルヴィが龍玉の力を受け取る様子を見届けた後。
「頼まれごとも終わったことだし、オレはそろそろ帰るな!」
「待ってください、スオウ殿」
満足気に笑みを浮かべて去ろうとする彼を呼び止め、リクウは頭を下げる。
「ディステルを止めるために……。貴方の力を、どうか僕達に貸してくれませんか」
「やだね」
「即答!?」
考え込む素振りも見せず返答したスオウの横から、アルファとオメガが申し訳なさげに顔を出した。
「ホントに悪い。この馬鹿は社交辞令なんて単語、頭にねぇヤツなんだ。後でオレからきつく言っておくから……聞くかわかんねぇけど」
「でも、あのっ、スオウ様は決してイジワルで拒否されたわけじゃないんです……っ!」
いや絶対に意地悪だろう……とその場にいた大半が考えてしまったが、オメガは一生懸命に理由を説明する。
「こ、ここに来るまでの道中、スオウ様が仰っていました。自分が本格的に関わると、ロクなことにならないからって」
彼の龍眼は”数ある未来の可能性”を視ることができる。
その力を使ったところ”この戦いにスオウが関わった場合の顛末”は、どれもよくないものだったらしい。
「間接的なおつかい程度なら影響しないらしいんだけどな。そういうことだから、悪いが察してやってくれよ。アイツも考えなしに気分で断ったわけじゃねぇから。……多分」
「……わかりました。教えて頂きありがとうございます」
理解が得られたことに子どもらしい笑顔を見せるアルファとオメガ。
そんな二人を手招きで呼び寄せると、スオウはユキアカネの背に飛び乗った。
「じゃあなリクウ。まぁ色々あるだろうが、がんばりな!」
「……待って」
再びスオウを呼び止める声が響く。
それは新たな力を得たばかりのリューネだった。
「おつかい程度は影響しないということなら、一つ頼み事をしてもいいかしら。天城へ連れてきて欲しい人がいるの」
真剣な彼女の表情に、スオウはにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「オレはタダじゃ動かねェぜ。案内役の対価にアンタは何を差し出すんだ?」
相変わらずの試すような口ぶりに、リクウは呆れた顔をする。
「この人は下手なものじゃ動いてくれませんよ。それこそ龍王の秘酒のような珍品でもない限りは……」
「珍品……」
その話でふと心当たりが浮かんだリューネは、ニヤニヤと笑うスオウを真っ直ぐに見つめて、口を開いた。
「紅葉山の蔵に貯蔵されている龍酒でどうかしら」
「え。リューネあれは僕が龍の研究課程で作った一升……」
「お! よくわからんが面白そうだな、のった!」
「うぇえ!?」
青ざめた顔のリクウを無視して、スオウは二つ返事で承諾した。
龍の章【焦り】
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キリにリィを連れ去られた後。
深い傷で動けずにいたティフォンとラシオスの前にニースが現れた。
直属部隊を再集結させるために奔走していた彼女は、道中でシャゼルを拾い、ラシオスの気配を探してここまでたどり着いたらしい。
「申し訳ありません、隊長……。任務を遂行できませんでした」
「そうか……気にするな。今は傷を癒せ」
頭をそっと撫で、ニースは彼女やティフォンと今までの経緯を共有する。
「アタシがモルムちゃんを追いかけてる間に、随分と面倒なことになってたのねぇ」
二人に治癒術を施しながら事の次第を聞いていたシャゼルは、自分を置いて笑顔で飛び去ったクーリアを思い出してわなわなと拳を握りしめる。
「この世で一番可愛いドラゴンちゃん達を消すなんて絶対許せないわ! あの小娘とその仲間を倒して、はやくモルムちゃんを解放してあげなくちゃ!」
「シャゼルとラシオス、それに道中で会ったヴェルドの報告から、既に第七、第八の天、第九の龍覚印は天城へ届けられたと考えるべきだろうな……。残る印は2つだが」
「そこに第八の海も加えておくとよいわ」
聞き覚えのある少し気だるげな声に、考え込んでいたニースが顔を上げた。
「エンラ! 今まで何処に……いや、それよりその傷は」
驚く彼女を前に、エンラは口角を上げて気にするなと笑って見せる。
「万全とは言えぬが、術でおおよそ回復しておる。それよりもラシオス、お前が遭遇した龍契士とは、暴食の龍を手に宿した者ではなかったかえ?」
その問いかけにラシオスが頷くと、彼女はやれやれとため息を漏らす。
「妾に傷を負わせたのもそやつじゃ。天城へ戻ったというのなら、第八の龍覚印・海も敵の手におちたと考えて間違いないじゃろう」
「そうか……。残る第五の龍覚印はイデアルが追っているが、敵の動きを見るにあまり期待はできないだろう。いよいよ時間が無くなってきたな」
その場の全員に焦りが滲む。
そんな重苦しい空気を、パンッと手のひらを叩く音がかき消した。
「重い! 重いわよアンタたち!」
「シャゼル……」
「どんよりムードになったって仕方がないでしょ。焦ったって何にもならないんだから、今は回復に専念なさいよ。難しい相談はそれから! わかったかしら!?」
全員が呆気にとられる中びしっと言い放つシャゼルに、ニースは肩に入りすぎていた力を抜いてくすりとほほ笑んだ。
「……そうだな。少し休んで、それから次を考えよう」
龍の章【似ている者】
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動けなくなった者達が治癒術で回復していく中。
エンラは治療中、暗い面持ちをしているティフォンに話しかけた。
「お前、あの暴食龍の小娘に何ぞ言われたじゃろう」
「……何故わかるんだ」
「妾も同じようなものじゃからな。氷柱のような言葉のおかげで不覚にも遅れを取ったわ。人の後ろめたい部分を容赦なく突いてきおって、ほんに忌々しい娘じゃったよ。……しかしまぁ、正論ではあったがな」
ティフォンの治癒を続けながら、エンラは自嘲じみた笑みを浮かべる。
重く苦しい記憶を弟子に抱えさせたくないという感情は自分のエゴだったと、あの言葉で気づいてしまった。
「お前も大方、あの娘の言葉で迷ってしもうたクチじゃろう」
「……」
キリの言葉を思い出す。
“憎むべき相手が違うだけで、私と貴方にそう違いなんてないのよ”と彼女は言った。
故郷を滅ぼした幻魔を倒すために戦う自分と同じ。つまり彼女は龍に大切なものを奪われたのだろう。
「彼女も、大事なものを奪った存在を倒すために行動している。俺に彼女の邪魔をする権利があるのかと考えたら、わからなくなった」
ポツリと弱音を吐く。
そんなティフォンにエンラは小さく肩を落とすと、下を向いていた彼の額をおもむろに指で弾いた。
「……っ!?」
「小難しく考えすぎじゃ、若輩者め。相手にどんな事情があろうとも、お前とは何も関係なかろうに」
突然の衝撃に驚くティフォンに笑みを浮かべてみせる。
「大体あの娘はお前に”自分とそう変わらない”と言ったらしいが、人の意志なぞ皆違うものじゃ。よう考えてみるとよい、お前の願いは本当に奴と同じものか?」
その問いかけにティフォンは目を見開き、ドルヴァと契約した時の願いを思い出す。
故郷を滅ぼした幻魔を倒したいという気持ちの中には、確かに憎しみも怒りもあった。
あの冷たい眼をした龍契士と自分はよく似ている。
けれど、ティフォンの願いはそれだけではなかった。
「俺は、たったひとりの家族を護りたいと願った」
脳裏に描く、今は側にいないガディウスの姿。
もう立派に力をつけ幻魔に立ち向かっているけれど、それでも兄として”護るべき弟” であることに変わりはない。
自分は家族を護るために剣を取り、ドルヴァと契約したのだ。
「おそらくそれが、全てを失ったあの娘とお前の違いなのだろうな。……さぁ癒えたぞ」
回復した身体を起こし、ティフォンは己の剣を力強く握りしめる。
「俺は俺の願いの為に戦う。……その結果、彼女の願いが叶わないのだとしても」
そう言って顔を上げたティフォンの目に、先ほどまでの迷いはなかった。
龍の章【滅雷龍の過去Ⅰ】
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負傷者の回復が終わり、ニース達がそれぞれの持つ情報を整理していた時、突如頭上に大きな影が差した。
見上げると、狐龍に乗った小さな子ども達がこちらを見下している。
その中で龍の頭にしがみついていた黒髪の少年が、彼女達に声をかけてきた。
「取り込み中に悪ぃな! アンタ等の中に、ティフォンって名前の龍契士はいるかい?」
「ちょっと、あの子アンタの知り合い?」
「いや……」
シャゼルの問いかけに目を丸くしながら首を横に振るティフォンを見て、ニースが彼等へ声をかける。
「君達は何者だ。何故その名の龍契士を探している」
「まぁそう警戒すんなって、怪しいモンじゃねぇから」
「いやいや、いきなり現れて名乗りもしない奴には誰だって警戒するだろ。ちゃんと説明しろよスオウ」
「へいへい」
地に降り立ったスオウは笑みを浮かべながらニース達を一瞥する。
その中でティフォンの姿を視界に入れた途端、眉を寄せて首を捻った。
「……ん? んんんー?」
「な、何なんだ……」
困惑する彼に構わずじーっと見つめた後、ぽんと手を叩いて驚きの表情を浮かべる。
「あーやっぱりドルヴァじゃねぇか。なんだお前、封印から解放されてたのかよ」
「……!?」
ティフォンは目を見開いた。
ドルヴァは長い間ずっと自身の故郷の地に封じられ、その存在を知る者はごくわずかのはずだった。けれどスオウは昔からの顔見知りであるような口ぶりをしている。
そしてドルヴァの方も彼を知っているのか、双頭を上げて目を細めた。
『……狐龍の子か』
「おう、久しぶりだな。お前をあの土地に縛る封鎖は龍王達がかなり厳重に仕掛けたって話だったがなぁ。しかも”奴”と違う人間の契約龍になってるとは、ホント驚きだぜ。あの封印、どうやってぶち破ったんだ?」
『貴様に言葉で語る必要はない。知りたければその眼で視るが良い』
「あぁ、確かにその方が手っ取り早いな」
ドルヴァの言葉にニヤリと口角を上げたスオウは、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
全てを見透かす龍眼が、ティフォンを正面から貫く。
「悪いな兄ちゃん。アンタとドルヴァの過去、ちょっと覗かせてもらうぜ」
龍の章【滅雷龍の過去Ⅱ】
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スオウがティフォンとドルヴァの過去を視ている間。
アルファとオメガは、戸惑いながら彼等の様子を見つめているニース達に話しかける。
「え、ええと、こんにちは……。貴女がミラさんのお姉さん、ですよね」
「ミラを知っているのか!」
「アンタの師匠とウチのスオウが知り合いで、オレ達も世話になることが多いんだ。直属部隊の話もよく聞いてる」
「そうか……。教官の知人ということなら、危険な人物ではないのだろう」
人差し指を銃の引き金から離したニースに、アルファ達も警戒を解いてもらえたことに安堵の息を漏らす。
「悪いな、スオウが何も説明しないまま進めちまって」
「わ、私達……リューネさんから、ティフォンって名前の龍契士さんを天城まで連れてきてほしいと頼まれたんです」
「リューネ殿から……!」
リクウの手紙を受けて一足先に天城へと向かった彼女を思い浮かべる。
彼女は天城での戦いに、ティフォンの力が必要だと判断したのだろうか。
事情を聞き思案する中、過去視を終えたらしいスオウが足をふらつかせ、ストンとその場に座りこんだ。そんな彼に、アルファとオメガが慌てて側へ駆け寄る。
「おい大丈夫かよスオウ」
「へーきへーき、ちょっと気になって結構昔まで視すぎただけだ。しかしまぁ……驚きの連続だぜこりゃ」
わしわしと頭を引っ掻き、座ったままティフォンを見上げる。
「お前が奴の息子だとはなぁ。そりゃドルヴァと契約できるはずだ」
「……!? 父のことを知っているのか」
驚愕する彼に、スオウはゆっくりと立ち上がりニヤリと笑みを深める。
「お前は知っておくべきかもしれねぇな。自分の父がどんな奴なのか」
「……」
まさかここで父について知ることができるとは思っておらず、ティフォンはごくりと息を飲む。全員が次の言葉を待つ中、スオウはニコリと笑みを深め……そして。
「でも話長くなっから、続きは道中でな! いくぞアルファ、オメガ!」
「うわっ!?」
「わわ、待ってください……!」
「突然すぎだろ!」
スオウは笑顔でティフォンの腰飾りをひっつかむと、アルファやオメガと共にユキアカネに飛び乗った。
「ス、スオウ殿!?」
「悪いな直属部隊! これ以上はユキの定員オーバーだから、アンタ等は後から自分で天城に向かってくれー」
全員が目を丸くする中、ユキアカネはスオウの傍若無人っぷりに小さくため息をつきながら空へと舞い上がった。
龍の章【滅雷龍の過去Ⅲ】
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「……スオウ、だったか。そろそろ放してくれないか」
「んー? あぁ悪い悪い! そういやそのままだったな」
天城へと向かう空の上。ティフォンが腰飾りを掴まれたままの状態に抗議の声を上げると、スオウはケラケラと笑いながらその手を放した。
「……父の話を聞かせてくれるということだが」
「あぁ。まずはどっから話すかね……。お前、父親の事はどれだけ知ってんだ?」
彼の問いかけに、ティフォンはゆっくりと首を横に振る。
「ほとんど知らない」
幼い頃、一度だけ母に聞いたことがあったけれど、母はどこか悲しそうに微笑んで「いない」と答えるだけで、それ以上は何も言わなかった。
父の話題は母を困らせてしまう。そう感じたティフォンとガディウスは、あれ以来その話を口にしなくなったのだ。
「なるほどな。それじゃ最初から話すかね」
スオウは納得したように頷くと、ユキアカネの頭上で身体を反転させ、ティフォンの方へと向き直った。
「まず、お前が今契約してる滅雷龍・ドルヴァ。そいつは昔、お前の父親と契約していた龍だ」
「……!?」
その言葉にティフォンは驚愕の表情で契約龍を見つめる。
「ドルヴァ、お前ホントに何も言ってねぇんだなあ」
「……」
呆れた声をかけるが、ドルヴァは黙ったまま返答しない。
そんな龍に仕方がねぇ奴だと肩をすくめて、スオウは昔語りを始めた。
「お前の父親は昔から龍好きで、人と龍の共存を願った男だった。そしてその願いを叶えるために、双頭の雷龍と契約したのさ」
遙か昔。人が龍を恐れ、龍が人を嫌い、互いに争っていた頃。
龍という存在に惹かれ、人と龍が認め合える世界を求めて旅に出た青年がいた。
そして彼の側には、契約龍である双頭の雷龍の姿があった。
片方は浄化の雷を司る荒々しく粗暴な頭。もう片方は破滅の雷を司る冷静で厳格な頭。
そんな二つの雷を操る龍が願いの強さを認めた人間。
それが、後にティフォンとガディウスの父となる人物だった。
龍の章【滅雷龍の過去Ⅳ】
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スオウは昔話を聞かせるかのように語り続けた。
理想を抱き世界中を旅する中、青年は龍に憧れを募らせる者や悪魔の血を引く者、理想に共感を示す龍喚士を仲間にしながら、己の願いを叶えるために進み続ける。
しかしその結果、「完全なる魔導書」を使い継界そのものを創り変えようとしたために世界の敵とされ、龍王達によって異空間へと封じられた。
「奴を封じた時、龍王は当時の青龍契士に命じて還爪の能力で雷龍との契約を強制解除させ、魂を二つに分断した。そのうちの一体が、今お前と契約しているドルヴァというわけだ」
浄雷と滅雷。二つに分かれた雷龍は、それぞれ彼等の故郷の両端に封印の鎖で縛られた。
それがセディンとドルヴァの成り立ちだった。
「……しかしそれは、何百年も前の話なのだろう。その男が異空間に封じられたままなら、俺と弟の父であるというのはおかしくないだろうか」
「そこはオレも随分と驚かされたぜー。何せお前ら、大分ややこしい生まれ方してたからな」
それは青年が異界に封じられてから、数百年の時が過ぎた頃。
彼の元に、いくつもの仮面と闇を携えた悪魔が姿を現した。
ダンタリオンと名乗ったその悪魔は、クスクスとほほ笑みながら青年に提案を持ちかける。
「そこはとても窮屈でしょう。よろしければ、私が貴方の魂を別の器に移して差し上げましょうか」
(……悪魔が私に手を貸して何の得がある)
訝しむ青年に、ダンタリオンは笑みを深めて答える。
「私は予想外のもの、面白いものが好きなのです。純粋すぎる己の願いに翻弄され、世界さえ敵に回した貴方はとても観察し甲斐のある人間でした。だからもっと、貴方の行動を見てみたくなったのですよ。ここへ干渉するのは苦労しましたが、貴方はその労力以上のイレギュラーを起こしてくださりそうですから」
クスクスクス。ケラケラケラ。彼に呼応するように頭上の仮面が不気味な声を上げる。
ダンタリオンが告げた理由は理解できるものではなかったが、それでも封じられたままより良いと考えた青年は、彼の誘いに応じた。
「悪魔の術で己の“影”を切り離し器にした奴は、継界に帰還して己の故郷に戻り、そこでひとりの少女と出会った。それが、お前達の母親だ」
龍の章【滅雷龍の過去Ⅴ】
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ダンタリオンによって影の器を得た青年が出会った少女は、龍王から「雷龍」の封印を護る役目を命じられた巫女だった。
彼は少女を利用し龍王達の情報を得ようと考え、彼女へと近付き話をするようになる。
そうして日々を過ごす中で、青年は継界の様々な情報を得ていった。
しかしそれと同時に、以前の自分と同じ”龍”への憧れを持っていた彼女との会話を楽しむようになっていき、次第に心惹かれていく。
そして少女も、封印の護り手という使命に縛られた中で気兼ねなく話をすることができる青年に心を寄せていった。
少女と青年の逢瀬は温かく幸せな時間だった。
けれど、その時間も長くは続かない。
「龍王達が、奴の干渉に気付いた」
異空間に封じられ、悪魔の手助けによって行動していた青年と、龍の封印を護る使命に縛られていた孤独な少女の逢瀬。
それに気付いた龍王達は、青年が干渉していた少女を排除しようとしたのだ。
「何故だ!? ただ話をしていただけだろう」
「奴は人を惹きつける才能を持っていたからな。龍王は奴に洗脳されているかもしれない存在をそのままにはしておけないと判断したんだろうぜ」
龍王達の動きを知り少女に害が及ぶと危惧した青年は、僅かに残っていた雷龍の力を与えた。その力は龍王の干渉を全て跳ね除け、彼女を守る。
しかし力を使い過ぎたことで器に意識を投影し続けることが難しくなった彼は、一旦意識を切り離し、龍への憎しみを募らせながら再び異空間の中で眠りについたのだった。
……その時、憎しみに捕われた彼は気付けなかった。
己の愛した者に宿された、新たな命たちに。
『あの者が与えた力は、既に巫女の身体に宿っていた二つの命に流れ込み、赤子となって生まれてきた。……それが、貴様ら兄弟だ』
契約龍として、青年を認めた友として。
彼の全てを見続けてきたドルヴァが、話の最後を締めくくった。
龍の章【滅雷龍の過去Ⅵ】
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長い年月の中で龍への憎悪を募らせた青年は、再び影の器を使って様々な者に干渉した。破壊と創造を司る悪魔を創り、龍への憎悪を芽吹かせた者を利用して、昔と変わってしまった己の願いを叶えるべく継界に帰還しようとしている。
『全ては、龍なき世界のために』
ドルヴァの過去、そしてこの戦いの黒幕が己の父であることを知り動揺を隠せずにいるティフォンを横目に、スオウは肩をすくめてドルヴァへと顔を向けた。
「少しくらい話しといてやっても良かったんじゃねぇのか」
『……奴とこの者の願いは相反する』
敵対している者の正体が肉親であるという真実など、知らないままでいられるのならその方が良い。
ドルヴァの意志に小さく苦笑しながら、スオウはティフォンの方へと向き直る。
「さて、これからオレがお前を連れて行くのは奴の思惑を止めようとしている連中の所だ。そいつらと共に戦うのなら、お前は父親と対峙することになるわけだが……どうする?」
「……どうする、とは」
「オレはお前を連れてきて欲しいと頼まれはしたが、強制してまでとは聞いてねぇからな。このまま一緒に来るも良し。今ここで戦いから降りるも良し。お前のしたいようにすりゃいいんだぜ」
試すでもなく、脅すでもなく。思う通りにすればいいという考えを示すスオウに、ティフォンはまだ頭の整理がつかないながらも口を開く。
「……今聞いた話も、父の事もまだ理解が追い付いていないし、実感もない。だがそれは、この戦いを降りる理由にはならない」
ガディウスはきっと今も幻魔を倒そうとしている。
ティフォンの意志を聞き、スオウはそうかいと笑みを浮かべてユキアカネの頭に飛びついた。
「なら行き先に変更は無しだ。このまま一気に天城まで行くぜ」
「あぁ、頼む」
真っ直ぐな声に、スオウはわずかに目を細める。
(……逃げられる機会があるなら逃げりゃいいのに、真面目だな。オレにゃわかんねぇや)
龍の章【幕間】
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『全ての龍覚印が天城に届けられた』
天城の一室にいたディステルは、その知らせを持ってきたダンタリオンに眉一つ動かさず『そうか』とだけ言葉を漏らした。
そんな彼に、ダンタリオンはケラケラと笑みを深める。
「順調に事が進んでいるではないですか。もっと喜ばれてもよいのではありませんか」
「経過を称賛して何になる。最終的な目的が果たせなければ意味はない」
淡々とした声色に、ダンタリオンはにやりと口角を上げた。
「最終の目的ですか……クスクスクス。貴方の目的は、本当に"彼の帰還"なのでしょうか?」
「……何が言いたい」
「いいえ何も。私はいつも通り眺めて愉しむだけ。人が願い、邁進し、砕け散り絶望するその様を。そしてそれをいつでも思い出せるよう、仮面に刻んでおくのですよ」
悪魔の笑い声が部屋を満たす。
そんな二人の会話を遮るように、カチャリと部屋の扉が開かれた。
「クフフ、見ぃつけた。ディスったらここにいたのねぇ」
扉から顔を出したロシェは、お目当ての人物を見つけて口元を緩める。
「獄幻魔の排除に出ていたのではなかったのか、ロシェ」
「フフ、黒ニャンコ逃げちゃった。でもわざわざアタシが探すのは面倒でしょ? だからオモチャを取りにきたの」
長い袖に隠れた手が、銀の鳥籠を掲げてみせた。
鳥籠の中に詰め込まれたオモチャと呼ばれるものは、ガシャガシャと籠の中から出ようと声を荒げて暴れている。
『クソッ! ここから出しやがレ、クフフ女! オレ様をロミアの所へ返しやがレ!!』
オモチャの身体を鉄柵の隙間からぐにぐにと弄びながら、ロシェは楽しげな表情でディステルに視線を向ける。
「ねぇディス、このオモチャ使っていいでしょう?」
「……好きにしろ」
「クフフ、ありがとうディス。じゃぁアタシは黒ニャンコと遊んでくるわね」
騒がしい声に眉を寄せながら返答すると、彼女は嬉しそうに笑いながら籠を抱えて踵を返した。
「カワイイお姫様のナイトくん。でも今は捕われのプチ黒ニャンコ。フフ、黒ニャンコがくるまで、アタシと一緒に遊びましょう。クフ、フフフッ」
『アッ、コラやめロ引っ張るんじゃネェ綿が出ル! 鋏を近づけるんじゃネェ!!』
機嫌良くヒラヒラと手を振り、鳥籠と共にロシェが姿を消した後。
ディステルはソファから腰を上げ、部屋の中央にある大きな結晶の塊を見上げた。
透き通るような闇の結晶。その中で眠る“鍵”を見つめながら、ディステルはぽつりとつぶやく。
「……もう間もなくあの人に会える。そうすれば、また――」
言葉の最後、消え入るような声で発されたその名に、ダンタリオンはクスリと微笑を浮かべながらディステルを見つめた。
「さて、貴方の"願い"は無事成就するでしょうか。その果てに見せる絶望の表情はどんなものでしょう。その顔が見られた時、きっと貴方の仮面も完成する。ああ、とても愉しみです。フフ、フフフフ」
龍の章【断龍喚士との戦いⅠ】
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ロミア救出のため、ズオー達は天城を進んだ先で見つけた部屋の扉を開く。
「クフ、クフフ。いらっしゃぁい黒ニャンコ」
そこで待っていたのは歪んだ笑みを浮かべたロシェだった。
彼女の膝に乗せられた檻がガツンガツンと音を立てて暴れている。
「クフフッ、プチ黒ニャンコの気配を追って来たんでしょう? でも残念、お姫様はここにはいないの。だから代わりにアタシと遊びましょう、黒ニャンコ」
ぬいぐるみを使ってズオー達を誘い出したロシェは、愉しげに口角を上げて背後にいくつもの魔物を召喚する。
奥へと進む扉はロシェの背後。ここを突破しなければ先へは進めない。
ズオーは漆黒の刀に手をかける。
しかしそんな主を制するように、スカーレットとアーミルが敵の前へ躍り出た。
「申し訳ありませんが、ズオー様は急いでおられるのです。ですので」
「遊び相手は僕達で我慢してくれないかな?」
二人の申し出に、ロシェはおかしそうに声を上げる。
「クフッ、フフフッ! ステキなお友達ね。でもダァメ。アタシがズタズタにして遊びたいのは黒ニャンコなんだから」
彼女の魔物たちが一斉にズオーへと飛び掛かる。けれどそれらは標的に触れる前に、アーミルの巨大な蔦が絡め取り、スカーレットの魔獣によってかみ砕かれた。
「我等はズオー様の配下。主と姫様のために力を尽しましょう」
「ここは僕達にまかせて、先に進んでくださいよ」
その言葉を聞いたズオーは頷くように瞳を閉じると、二人が魔物を押え込む中、部屋の扉へと突き進む。
「逃げちゃだめだってば、黒ニャンコ!」
標的の動きに顔をしかめたロシェが無数の黒棘をズオーへと放つけれど、二人はそれを見逃さず、植物と魔獣を使い防ぎきった。
「しつこい子は嫌われるよ?」
「貴方のお相手は、私達です」
ズオーを先へと送り、敵の前に立ち塞がるアーミルとスカーレット。
そんな二人に、ロシェは小さくため息を漏らす。
「あーあ、アンタ達のせいで黒ニャンコがまた逃げちゃった。あんまり遊んでるとディスのお小言が始まっちゃうから、はやく追いかけないと」
「あら、そう焦らずともよろしいでしょう。のんびりお付き合いくださいな!」
にっこりと微笑みながら、スカーレットが魔獣をけしかける。
襲い掛かる獣の爪をヒラヒラと遊び感覚で避けるロシェ。
そんな彼女の身体をアーミルの蔦が捕えた。
「君も僕のところへおいでよ」
蔦が絡め取った標的をアーミルの方へ引き寄せ、その隙を逃さず魔獣が牙を剥く。
しかしロシェは笑みを浮かべたまま布を裂くように蔦を切り刻むと、空中に召喚した無数の黒棘で魔獣と二人を貫いた。
「ぐ……ッ」
「クフフ、黒ニャンコのためにボロボロになってカワイソウ。大人しくニャンコの影に隠れてればよかったのに。そうすればもう少し生き延びられたんじゃないの」
地に伏す二人の近くに寄り、見下しながら嘲る。
そんな彼女に、スカーレットは倒れながらも小さく笑みをこぼした。
「貴方に憐れんで頂く必要など……ありませんわ。私達はズオー様の側に仕える事を許された者……。あのかたの望みを叶えるのが、私達の役目です。……ですから」
スカーレットの言葉が途切れると同時に、ぴくりとアーミルが人差し指を動かす。
その瞬間、三人の地面が大きく割れ、真下から巨大な植物が口を開けた。
龍の章【断龍喚士との戦いⅡ】
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突如地面を割って出現した巨大な植物。それはアーミルが召喚した悪魔の植物だった。
「……ッ!?」
飛び退こうとするロシェの手足を、長い蔓が縛り付け引き寄せる。
先ほどのように千切ろうとするが、蔓はびくともせずに彼女の自由を奪っていった。
身動きが取れないロシェと共に、力を使い切ったアーミルとスカーレットも植物の口へと落ちていく。
「オイ止めロ! それじゃオマエラまで喰われちまうゾ!?」
閉じ込められたまま放置されていたズオーのぬいぐるみが、ガシャガシャと音を立てながら叫んだ。
「……ふぅん。主の敵を討つためなら自らを犠牲にしても本望ってこと? バッカじゃないの」
意味がわからないと嘲笑うロシェに、二人は小さく笑みを浮かべて彼女を見やる。
「そうですね……。でもこれでズオー様が姫様を救出する為の力となれるなら、私達はそれで良いのです」
「まぁきっと……君には一生理解できない事だろうけどね」
二人が満足げにそう答えた瞬間。
三人を呑み込むようにして、植物の口がぱくりと閉じた。
荒れ果てた部屋に静寂が戻る。
割れた地面には、彼等を呑み込んだ植物が静かに佇んでいた。
「……最ッ低」
静まりかえった部屋に、ピシリと小さな音が響く。
その音と共に、植物のいたるところに切れ目が入り込んでいく。
そして次の瞬間、巨大な植物はまるで紙くずのように内側から切り刻まれた。
「はー、気持ち悪かったぁ」
ボロボロに裂かれた葉の中から姿を見せたロシェは、酷く不快そうに顔をしかめながら己と同じく細切れになった植物から解放されたスカーレットとアーミルを睨み付ける。
「……クフフ、せっかく頑張ったのに残念でした。やっぱりアンタ達じゃ、力不足だったってことね」
苛立つロシェの声を、二人は朦朧とする意識の中で聞いていた。
(あーあ……これで僕等もお終いかな)
(……でも、時間稼ぎは十分できましたわ)
指ひとつ動かすこともできない身体に苦笑しながら、スカーレットは満足そうに笑みを浮かべる。
「……そうやって最後に笑えるなんて、ホント意味がわかんない」
その笑みを、ロシェの黒棘が貫こうとしたその瞬間。
二人の身体が一陣の風に攫われた。
龍の章【断龍喚士との戦いⅢ】
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窮地のアーミルとスカーレットを救い出したのはプラリネとヴァレリア達だった。
「龍喚士……? 何で僕等を」
「主君のために身命を賭して戦ったお前達の心意気が気に入ったのでな、手を出させて貰った」
「まったく、敵なんだから助けちゃいけないってのに……」
「そう怒るなリエト、教官らしいじゃないか」
「ほら文句言ってないで、アンタ達も戦闘準備しなさいよ」
背後でボソボソと話す弟子三人を横目に、ヴァレリアは茫然とする二人に笑みを見せる。
「不肖の弟子が迷惑をかけたようで悪かったな。ここからは私達に譲ってもらえるか。こちらにも彼女に用のある者がいてな」
そう言って、彼女はかつての弟子たちの方に視線を移す。
ヴァレリア達から少し離れた場所で、プラリネはいつもの明るい笑みを引っ込め、ロシェの前に佇んでいた。
「追いついたよ、ロシェ」
「なぁに、教官サマの手を借りてアタシを追いかけてきたの?」
「そうだよ。ボクは君とお話したいことがたくさんあるんだ」
「クフ……クフフフフ! 嬉しいわぁプラリネ。今アンタの頭の中、アタシでいっぱいでしょう。そんなアンタをこの手でズタズタにできるなんて最高だわ」
愉快そうに口の端を上げたロシェは、地に描いた魔法陣から異形の魔物を出現させる。
「待ってロシェ、ボクは戦いに来たんじゃないよ、お話をしにきたんだ!」
「だぁめ。待ってあげない。可愛いアタシのプラリネ、まずはお人形遊びをしましょうよ!」
甲高い呻き声を上げながら魔物達が迫り来る。
しかしそれらは、プラリネの背後から繰り出された斬撃によって阻まれた。
「それほど人形遊びがしたいのなら、私達が付き合ってやろう」
ヴァレリアとその弟子たちが各々の武器を構えて前に出た。
その光景に、ロシェが忌々しそうに舌打ちする。
「相変わらず暑苦しい教官サマね。またアタシの邪魔をするつもり?」
「心配しなくとも、私達はプラリネがお前とちゃんと話ができるよう、余計なものを排除するだけだ。そうしてほしいと彼女に頼まれたからな」
魔法陣から湧き出る魔物を炎と雷を纏った剣で薙ぎ払いながら、ヴァレリアはプラリネの方へ顔を向ける。
彼女は余所見をすることなく、真剣な表情でロシェを見据えた。
「……ボクはちゃんと知りたいんだ。どうして君が、ボクを憎むようになったのかを」
龍の章【断龍喚士との戦いⅣ】
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ヴァレリア達が魔物を相手取る中。ロシェは楽しげに笑い、無数の黒棘を放った。
それを避けるようにグライザーで飛びながら、プラリネが声を上げる。
「君は言ったよね。“あの人はアタシをいちばんにしてくれる”って!」
「ええそうよ。アンタに置き去りにされたアタシを、あの人はいちばんにしてくれるって言ったわ。だからアタシは、彼のために邪魔なものを全部排除するのよ」
“置き去りにされた”
彼女の言葉に、プラリネがわずかに動揺を見せる。
その隙を逃さず、ロシェは地面からさらに大きな棘を出現させた。
『グッ……』
「グライザー!?」
翼を貫かれ、グライザーが短い呻き声を上げる。
相棒を助けようとプラリネが手を伸ばすが、その前にロシェが飛び掛かり黒刃で彼女を地面へと縫い付けた。
それでも身動きが取れなくなったプラリネは己の真上で笑うロシェから目を離さない。
そんな彼女の首に己の黒刃を突き付けながら、ロシェはそっと目を細める。
「クフフ、可愛いプラリネ。今からアンタを綺麗に引き裂いてあげる」
「……ボクは君に、そこまで憎まれるようなことをしてしまったの?」
「……そうね、アンタとのお話もこれが最後だから教えてあげるわ」
プラリネの悲痛な表情にロシェは少しだけ沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「ねぇプラリネ。アンタはアタシの唯一、初めてできた、たったひとりの大切なオトモダチ。だからアタシはアンタにも、同じ気持ちでいてほしかったのよ。でもアンタは、そうじゃなかったでしょう?」
「そんなことないっ! ボクだって君が大好きで」
「嘘!」
プラリネの言葉を、怒気のこもった強い声が否定する。
「嘘じゃない、ホントだよ!」
「嘘。嘘。嘘。だって、ねぇ、プラリネ」
それならどうして、あの時アタシを置いて行っちゃったの?
泣きそうな顔をして笑うロシェに、プラリネが目を見開く。
「……だからアタシもアンタを捨てて、アタシを“いちばん”にしてくれる人にすがったのよ」
ロシェは黒刃を持つ手を、ぐっと前に押し出した。
龍の章【断龍喚士との戦いⅤ】
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好きでもない龍や世界のために力を尽せと強制されるのが嫌だった。そういう家系に生まれたのだからと、誰も彼もがアタシの意志を無視する世界が大嫌いだった。
そんなアタシに、プラリネは手を差し伸べてくれた。
アタシという存在をちゃんと見てくれたあの子が大好きで、ずっと一緒にいたかった。
……だけど。
『ボクも龍と人が平和に暮らせる世界を見てみたいんだー! だから彼やリッくんたちと一緒に行こうと思う!』
それがあの子の夢だという事は昔から知っていた。
『……アタシは嫌よ』
アタシは、あの子を夢や新しい仲間に取られるのが嫌だったから、そう言って拒否すればきっとプラリネは諦めてくれる。アタシと一緒にいることを選んでくれると思った。
でも、あの子の答えはアタシが望んだものとは違っていた。
『……そっか。なら寂しいけど、ボクだけで行ってくるよ!』
『……え?』
そうしてプラリネは、泣くことも惜しむこともなく笑顔のまま空へと飛び立っていった。
アタシは置いていかれたまま、部屋に閉じこもってずっとずっと考える。
どうしてあの子はアタシを選んでくれなかったのか。どうしてアタシは選ばれなかったのか。考えて、考えて、考えて考えて考えて。
『……あの子にとってアタシは、一番じゃなかっただけ』
ようやく出た答えは、とても簡単なものだった。
次第にアタシと同じ気持ちを返してくれなかったあの子を憎むようになった。
憎くて、恨めしくて、なのにあの子がアタシに手を差し伸べてくれた時のことが忘れられなくて。
もし自分の心が見えたなら、鋏でズタズタに切り刻んでしまいたい。
そう思っていた時、あの人がアタシの前に現れた。
ドロドロのグチャグチャになったアタシの心から溢れ出た闇の気配を追って来たと、プラリネの時と同じようにアタシに手を差し伸べてくれた。
彼は言った。自分のために力を貸せば、アタシを一番にしてくれると。
彼の一番になれたなら、きっとあの子を思う気持ちを捨てられる。
アタシを置き去りにしたあの子を、憎しみのままに斬り裂くことができる。
……なのに。
どうしてアタシの刃は、あの子に届いていないの。
龍の章【断龍喚士との戦いⅥ】
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ロシェの黒刃がぐっと押し返される。
喉元を貫こうとしていた刃を、プラリネが両手で握りしめていた。
「なんで……ちゃんと縫い付けてあげたのに」
「うん、ロシェは相変わらずお裁縫が得意だね。だから腕を動かせるようにするのはちょっぴり痛かったよ」
無理矢理拘束を解いた腕は傷だらけで、刃を握りしめている手も赤く染まっている。
プラリネは動揺するロシェの目を真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「……ゴメンねロシェ」
その言葉に、ロシェの目が大きく見開かれる。
「ゴメン、ゴメンね。ボクは自分のことばっかりで、君の気持ちに気付けなかった。もっとちゃんと、君とお話をすればよかった。ごめんなさい、ロシェ」
プラリネは身体を起こして、茫然とする彼女を傷だらけの両腕で抱きしめた。
温かな体温と、悲しみと後悔に震える言葉がロシェの心に沁みていく。
「一番が欲しいならあげるよ。だってもともと君のものだ。ボクの一番の親友は、今も昔もロシェなんだよ」
その言葉を聞き、ロシェは全身を小さく震わせながら、ゆっくりと手を動かし……。
「……嘘!」
精一杯の力で、プラリネを突き飛ばした。
「嘘よ、嘘、嘘、嘘! そんなの全部嘘に決まってる!!」
「ロシェ……」
「クフ……フフフ……そうよ、今更アタシがそんな言葉を信じるわけないじゃない。アタシが信じられるのは、アンタがアタシを置いて行ったって事実だけ。それだけなんだから!」
昂ぶる彼女の感情に呼応するようにして地面がひび割れ、幾多もの棘が出現する。
差し迫るそれらを前に唖然とするプラリネの首根っこを、ヴァレリアがひっつかんで退避させた。
「ぼうっとするな、ここは戦場だぞ!」
「……お師匠」
師の一喝で我に返ったプラリネは、溢れそうになる涙を拭ってロシェの方を見る。
まるで自分を閉じ込めるかのように当たり一面を棘で埋め尽くした彼女は、壊れたように笑みを浮かべていた。
「……あれではもう、お前の声も届くまい」
全てを拒絶したロシェにヴァレリアが哀愁を帯びた息を吐く。
「お前が直接手を下すことはない。アレの最後は師が請け負おう」
ロシェを討つため、雷と炎を纏った刃を握るヴァレリア。
しかしその手を、赤く染まったプラリネの手が制した。
龍の章【断龍喚士との戦いⅦ】
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「……ダメだよお師匠。ボクはまだ、諦めてない」
「な……っ!? 待て、プラリネ!」
師の手を離れ、プラリネはミラの回復術を受けたグライザーに乗りロシェへと近付いていく。
「聞いてロシェ! あの時ボクが君と離れて旅に出たのは、ボクがやりたい事をみつけたから。だけどそれはボクの事情で、嫌だと言った君に無理強いすることじゃないと思ったんだ」
「……ウルサイ」
「君には君のやりたいことをしてほしい。だからボクは君と離れて旅に出た。だけど、一度だって君のことを忘れたりはしなかったよ!」
「ウルサイ、ウルサイ、ウルサイ!」
否定と共に襲いくる幾多の棘をかいくぐりながらグライザーが飛ぶ。
覆い尽くすような棘を抜けたその先には、泣きそうな瞳で笑いながら刃を向けるロシェの姿。
プラリネはグライザーから飛び降り、彼女へと手を伸ばした。
「信じてくれなくていい。だけどロシェ、ボクは君が嫌いで置いて行ったんじゃない。ボクは……」
君のやりたい事を自由にしてほしかったんだ。
カラン、カランと乾いた音が地面に響く。
刃を落としたロシェの手は、伸ばされたプラリネの手をとっていた。
「……ねぇプラリネ。アタシのやりたいことは、アンタの側にいることだったのよ」
「……うん」
「……アンタなんか、大っ嫌い」
「……うん、ボクも君が大好きだよ。……ゴメンね」
二人だけの間で言葉を交わし、プラリネは崩れ落ちるロシェを抱き留めた。
「……怪我は大丈夫か」
戦いの喧騒がうそのように静まり返った空間に、師の声が響く。
「お師匠……うん、大丈夫だよ」
その返答で、ヴァレリアは安堵したように小さく息を吐いた。
プラリネは傷だらけだが命に別状はなく、ロシェは感情のままに力を使い果たしたせいか、気を失ったままプラリネの腕の中で眠っている。
互いに満身創痍だが、どちらかが命を落とすような最悪の事態は避けられた。
「……とりあえず、なんとかなったようでよかった」
「綺麗さっぱり解決とはいえませんよ教官。彼女はプラリネさんの言葉を聞こうとしなかった。目覚めればまた暴走する可能性があるんじゃないですか」
ヴァレリアの少し後ろでリエトが難しい顔をみせる。
確かに全て丸く収まっているわけではないが、プラリネは穏やかな笑顔のまま、彼に大丈夫だよと声をかけた。
「彼女がわかってくれるまで、ボクが側にいるよ。またロシェが暴走しちゃったら、必ずボクが止める」
「プラリネ……」
「ロシェはボクの手をとってくれたから。きっと、大丈夫」
「……だそうだぞ、リエト」
「……わかりましたよ、教官」
納得の意志を示したリエトに笑みを浮かべ、ヴァレリアは帽子を深く被り直す。
今は無理でも、いつかロシェが彼女の気持ちを理解できる日がくるといい。
「おいコラ! 何全部終わったみたいな雰囲気ダしてんダ!?」
突然の声に目を向けると、すっかり放置されていたズオーのぬいぐるみが檻の柵をガツンガツンと蹴りながら怒りの声を上げていた。
「ああー忘れてた。そういえば君、彼女に捕まってオモチャにされてたんだっけ」
「テメェ後で覚えとケよアー坊!」
わずかに傷の癒えたアーミルが檻を手に取ると、ズオーのぬいぐるみは檻の柵ごとアーミルを蹴飛ばし、けたたましい声を上げる。
「遊んでル場合じゃネェんだヨ! ココに連れてこられる前、ロミアを攫った黒髪男と黒マント野郎がアイツをどこかに連れていきやがっタ。早くしねェとロミアが危ねェんダ!!」
龍を狩る集団との決戦Ⅰ
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天城を進んでいたリクウ達は大広間にたどり着いた頃。
兄を追っていたヴェルド、スオウに送り届けられたティフォンもその場に到着した。
彼を視界に捉えた瞬間、リクウが驚愕の表情を見せる。
「何故ドルヴァがここに! 封印は!? それに貴方の雰囲気はまるで……いや、そんな馬鹿な……」
「ウゼェ」
ブツブツと長い独り言を繰り返すリクウを、スオウが手持ちの煙管でひっぱたく。
「それ痛いんですよスオウ殿!?」
「奴等についての昔話のくだりはもう済んでんだよ。裏で手短に説明してやっから黙っとけ」
「うぇぇ……」
スオウが涙目のリクウを引っ張って行く中、リューネはティフォンへと声をかける。
「どうかしたの? 何か思いつめたような顔をしているけれど」
「いや……」
ここへ来るまでの道中、スオウから聞かされた父親の話を思い出していた。
まだしっかりと整理がついていないからか暗い面持ちになってしまっていたらしい。
心配そうなリューネに大丈夫だと告げ、今は現状の把握と戦いに集中するべきだと心を落ち着かせる。
そんな彼等の元に、説明を終えたらしい二人が戻ってきた。
「粗方の話はしといたからな。オレはもう行くぜ、後はお前らで好きにがんばりな! ……あ、謝礼の酒は忘れんなよー」
「ええ、ありがとう」
軽い言葉を交わしてスオウを見送った後。
リクウはヴェルドとティフォンに現状を軽く説明する。
「僕等の目的は完全なる魔導書の創造を阻止、異空間を開く鍵となる獄幻魔の姫を奪還すること。ええと、ヴェルド君でしたね。貴方は龍覚印を追っているとニースさんから窺っていますが」
「ええ、僕の任務は愚兄が奪った第七の龍覚印を取り戻すことです」
「では共に行動した方がいいでしょう。龍の書を創造するために必要な素材は、全て白幻魔の元に集うはずです。そこに辿り着ければ……」
「その必要はないわ」
「……!?」
氷のように冷たい声がその場に響き渡る。
全員が顔を向けると、そこにはキリをはじめとする『龍を狩る集団』の四人が佇んでいた。
「貴方たちがイルムの元へ行くことはない。ここで私達に倒されるのだから」
「ちっとはオレを楽しませてくれよ? せっかくの戦いだ、あっけなく終わっちまったら興ざめだからな」
「遊びのつもりでいられるのも今のうちだ……今度こそ僕が貴様を倒す」
ヴェルドの殺気を浴び、ターディスは楽しげな表情を見せる。
そんな彼等をそばで眺めながら、クーリアはクスクスと笑みを浮かべた。
「そこの戦闘狂は置いておくとして。私、面倒ごとは好きじゃありませんの。ですから手早く終わらせてしまいましょう」
そう言うと、彼女は己の背に生えたモルムの腕で何かを掴みあげる。
大きな腕に鷲掴みにされたものに、ティフォンが声を上げた。
「リィ!」
「……!? クーリア、貴方この子をつれてきたの!?」
想定外の事に、キリも驚愕の表情を浮かべている。
そんな彼女に、クーリアは当然だというように首を傾げた。
「あら、だってこちらの方が手っ取り早いでしょう。ねぇ、リィ?」
彼女の合図でモルムの腕がぐっとリィの身体を締め付ける。
その衝撃で強制的に目を覚ましたリィは、その双眸に多くの龍を映した。
「あ……あぁ……!!」
「やめろ!」
「ふふ、残念。間に合いませんでしたわね」
ティフォンの剣がクーリアに届く前に、虚ろな目をしたリィの呪いが現れ始める。
「龍……龍……龍ハ……全ブ……滅ボサナクチャ……!」
無機質な彼女の声色と共に、大広間での戦いが幕を開けた。
龍を狩る集団との決戦Ⅱ
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虚ろな目をしたリィの小さな手が光刃を生み出し、敵味方関係なく大広間の龍を目掛けて放出されていく。
さらにキリ達も攻撃を繰り出す中で、周囲は混戦状態へと陥った。
「くっ……そこにいるんだろう、ガランダス! リィを抑え込めないのか!?」
クーリアの背から延びる巨腕を避けながら、ティフォンは彼女の影の中にいるはずの龍に訴えるが、言葉一つ返ってこない。
「あら無駄ですわよ。これだけ強力な龍が揃っているのですもの。リィの恐怖によって増幅された呪いの力が、あの大きな龍を影に縛り付けて力の供給源にしていますの。だからどれだけお名前を呼んでもお返事なんてできませんわ」
身体を張って彼女を止めていたガランダスの自由も奪われ、リィはただ呪いのままに龍を攻撃する人形と化してしまっていた。
混戦極まる中、ティフォン達は次第に体力を削られていく。
「攻撃が入り乱れすぎて動けない……特にあの小さな子の力が大きすぎる」
「加えて狙いが無差別なせいで、行動が読めません。このままでは……」
攻撃を凌ぎながらシルヴィとリクウが焦りを滲ませる中、ティフォンは何とかリィを止めようと彼女の側まで近づいていた。
(リィの呪いさえ解くことができれば……)
彼女が持つ還爪の能力を使えば、この状況を打破できるかもしれない。
けれどその隙を与えてくれるほど、龍を狩る集団の力は甘くなかった。
「クスクスクス。私を前にしてよそ見だなんて失礼ですわね」
「ぐっ……っ!?」
「ティフォン君!?」
クーリアの身体から出現したモルムの爪が、リィに気を取られていたティフォンの背を斬り裂く。
地に膝を付ける彼を前に、リィは瞳を虚ろにしたまま光を収束させ巨大な爪を生み出す。
その爪が、ティフォンへと振り下ろされる寸前。
「止めろ!」
覇気の籠った声と共に、リィの爪が弾かれた。
「……お前は」
目前に翻る紅の外套に、ティフォンの目が見開かれる。
彼をリィから救ったのは、屈強な龍を従えたラシオスだった。
「ニースさん!?」
「やっと追いついたようだな。リクウ殿、遅くなった! 我々も助太刀する!」
彼女の後に続くようにして、大広間にニース、エンラ、シャゼルも姿を現す。
スオウの後を追い、彼女達も天城へと突入していたのだった。
「どうやら龍覚印を奪った者達がこの場にほぼ集結しとるようじゃの」
「あー! 見つけたわ小娘っ、今日こそアタシの可愛いモルムちゃんを返してもらうわよ!!」
「……また煩い人達が増えてしまいましたわ」
「直属部隊の者達ね」
面倒そうに顔をしかめるキリを、クーリアがクスクス笑って見せる。
「あらそんな難しいお顔をしなくても大丈夫ですわよ。……ねぇリィ? 貴方の怖い龍がまた増えてしまいましたわよ」
「クーリア、貴方……!」
キリが窘める前に、リィが再び動き出しラシオスの前へと躍り出た。
「止めろ、リィは……っ」
傷付いた身体で二人を止めようとするティフォンを、ニースが静かに制する。
「ここは、彼女に任せてもらえるか」
「しかし……」
「大丈夫だ。ラシオスは己がすべきことをわかっているから」
信頼を込めた瞳でラシオスの姿を見つめる。
彼女が構える剣に、迷いはない。
「その様子では、一度思い出したガランダスの事もまた忘れてしまったのだな。……ならば」
ラシオスは真っ直ぐリィを見据え、大剣の切っ先を彼女へと向け叫んだ。
「ガランダスに代わり、私がその目を覚まさせてやる!」
龍を狩る集団との決戦Ⅲ
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大剣を構えたラシオスが、振り降ろされる巨大な光爪を弾き返しながらリィに叫ぶ。
「お前はあの時言っただろう、ガランダスと共にいたいと! だと言うのに、この様はなんだ!?」
「……」
「恐怖に怯え、呪いに屈し、ガランダスの意志すら封じて周囲を傷つける。貴様は本当にそのままでいいのか!?」
その言葉に、リィの耳がビクリと震える。
わずかに勢いをなくした彼女を前に、ラシオスは剣を大きく振上げて光爪を斬り裂いた。
「貴様は私の友が認めた契約者だろう!? 心を強く持て! 呪いなど跳ね除け、己の願いを思い出せ!」
「……リィ……は……」
「その程度もできないようならば、私が貴様からガランダスを取り戻す!!」
「……!!」
虚ろだったリィの表情に動揺の色が浮かぶ。
その瞬間、彼女の影から闇の魔力が吹き上がった。
「……だ……ヤダ……こわい……こわいよ……!」
震える身体を抑え込むように自分を抱きしめる。
しかしリィの影から溢れる力は勢いを増し、周囲を破壊し始めた。
「呪いの力が暴走しているのか……!?」
襲い来る影を避けながら、ティフォンはその場にうずくまったままのリィへ視線を向ける。
呪いに支配されていた心に隙が生じ、意識を取り戻したリィ。
しかし制御できない力で周囲が傷付くたび彼女の心が恐怖で満たされ、それが呪いの力を増幅させる悪循環となってしまっていた。
(このままではリィが呪いの力に潰されてしまう)
焦りを滲ませるティフォンの隣で、攻撃をしのいでいたラシオスが声をかける。
「……奴を止める。手を貸せ、雷龍契士」
「だが、どうやって……」
「……機を逃すなよ」
それだけ告げると、ラシオスは暴走状態のリィめがけて突進した。
龍を狩る集団との決戦Ⅳ
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制御できない力にボロボロと涙を零すリィ。
そんな彼女に、一喝が飛ぶ。
「泣くな!」
「……っ!?」
驚きのあまり顔を上げたリィに向かって、ラシオスはさらに言葉を投げかける。
「本当はわかっているのだろう、泣いてばかりでは何も解決しないと。呪いを発動させる原因の一端は己の恐怖心にあるのだと」
「……っ」
一歩、また一歩。
足を進める度に襲い掛かる影を剣で斬り裂きながらリィへと近付く。
「誰も傷つけたくないのなら、恐怖に打ち勝ち、呪いを跳ね除けてみせろ!」
リィは瞳に大粒の涙をあふれさせて小さく首を振った。
「……だって……こわいよ……リィ……ひとりで……っ!」
「……何を言っている」
目の前まで辿り着いたラシオスが、傷だらけの手でそっとリィの涙をぬぐう。
その潤んだ瞳に、優しい微笑みが映し出された。
「ひとりではないだろう。貴様には、私の自慢だった戦友が側にいるのだから」
その言葉で、リィの心に剛建な龍の姿が浮かぶ。
「……ガー……さん……」
ほんのちいさな声で、大好きな龍の名を呼ぶ。
溢れた涙の一滴がリィの影に落ちた瞬間、暴走していた力がピタリと停止した。
「今だ!」
ラシオスの合図と同時にティフォンが地を蹴り、リィの影に左手をかざして邪滅の力を送り込む。
その力によって溢れるほどに増幅していた呪いの力が軽減し、自由を取り戻したガランダスがゆっくりと姿を現した。
「……お嬢」
無骨でとても温かな龍の声がリィの耳をピクリと震わせる。
「……ガーさん……?」
「あぁ、やっと話ができたな」
存在を確かめるように、小さな手が触れる。
その手に己の大きな手を重ね、ガランダスはリィへと告げた。
「オレはお嬢の龍だ。ずっとお嬢の側にいるからな」
その言葉で、リィは再び瞳からポロポロと滴を落とす。
けれどその表情に恐怖の色はない。
「ありがとう……ガーさん……」
嬉しそうに笑みを浮かべながら、リィはゆっくりと瞼を閉じた。
龍を狩る集団との決戦Ⅴ
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呪いの暴走によって疲弊し意識を失ったリィを、ガランダスの大きな手が抱き留める。
「今なら……! リューネ、君の力を貸してくれないか!」
ティフォンの頼みを受け、リューネがその場に駆けつけた。
彼女が還爪の力を使い、リィの魂を呪いを受ける前の状態へと還していく。
その様子に安堵の息を漏らした後、ティフォンは少し離れた場所に佇むキリへと向き直った。
「……望みのために、リィのような幼い子どもまで戦いに巻き込むことがお前達のやりかたか」
「……っ」
否定も肯定もしないまま、キリは唇をかみしめて今にも暴れ出しそうなマジェをティフォンに向ける。
「私は私の願いを叶えるために行動する。何を犠牲にしても」
まるで自分に言い聞かせるような言葉と共に、キリは目の前の敵へ攻撃を仕掛ける。
彼女の敵意に呼応するように大口を開け、あらゆるものを喰らい尽くそうとするマジェを、ティフォンの刃が真正面から受け止めた。
「本当にそれが、お前の望みなのか」
「……何が言いたいの」
互いに力をぶつけ合う中、ティフォンはわずかに目を細める。
「憎むべき相手が違うだけで俺とお前はそう変わらない、あの時お前はそう言っただろう」
「そうよ。私も貴方と同じように故郷を奪われた。家族も家も、私の大切なものを全て喰らい尽くされた。だから私は龍を滅ぼす。それだけのために生きてきたのよ」
キリが力任せにマジェを押し出し、ティフォンを剣ごと後方へ吹っ飛ばす。
「誰を犠牲にしても、私は私の復讐を果たす。それが今、私が生きている理由なんだから!」
畳みかけるように放たれた水鎖をドルヴァの稲妻で弾き返し、ティフォンは厳しい面持ちのキリを見据えた。
「……俺には、お前が本当にそう思っているようには見えない」
「な……っ」
動揺を見せるキリを前に、ティフォンは再び剣を構えた。
「お前の言う通り、俺とお前は似た境遇なのだろう……だからこそ、俺がここでお前を止める」
龍を狩る集団との決戦Ⅵ
-
突き出される刃をマジェの巨大な牙が弾き返し、その口から放たれる水弾をドルヴァの黒雷が打ち砕く。
一瞬の隙もない力の応酬の中で、ティフォンとキリは言葉を交わしていた。
「確かにお前のように、龍によって苦しみや悲しみを味わう人達もいる。だが、だからと言って全ての龍が害成す存在ではないはずだ!」
「貴方は知らないのよ。龍は本来この継界に存在するはずのないもの。龍そのものがこの世界にとって異質だってことを」
ドルヴァの首をマジェの牙で押さえ、荒い息のまま言葉を続ける。
「遥か昔、龍喚士の始祖が初めて龍を召喚した。それは継界のバランスを維持するためのものだったけれど、それ以降人は狂暴な龍に怯えながら生きるしかなくなったのよ。だから私は、私達はこの世界を本来あるべき姿へと戻す。龍なき世界へと再構築する」
彼女が語ったそれは、ほとんどの者が知らない継界の歴史だった。
確かに彼女の言葉通り、圧倒的な力を持つ龍達に人々は怯え、畏怖し、その果てに争いも起こっている。龍を取り除く事で継界は本来あるべき姿へ戻るのかもしれない。
「……お前の言う通りかもしれない。だが俺は、龍の存在によって救われた者や、笑顔になった者がいることも知っているんだ」
少し離れた場所で眠るリィの姿を見遣る。彼女はガランダスの側にいたいと言った。それが彼女の幸せだった。
「全ての龍を滅ぼすということは、リィの家族を奪うということだ。……お前はリィに、自分と同じ思いをさせたいのか」
「……っ!?」
氷のように冷えていた彼女の瞳が大きく揺らぐ。
小さな少女にもう会えない自分の家族を重ね合わせたキリは、唇を強く噛みしめた。
「……なら、どうすればよかったっていうのよ」
短剣を構えたまま、キリは酷く歪んだ顔で声を張り上げる。
「全部、全部なくなったのよ! お父さんも、お母さんも、妹や弟も!! みんなで暮らした家も、大切に育てた畑も、優しかった村の人も、全部!! 全部……龍が奪っていったのよ」
残っていたのは、憎しみと悲しみ、怒りと喪失感だけ。
行き場のない感情をぶつける先を求め、仇である龍に注ぐことを教えられ、キリはそれに従った。それしか選択肢がなかったのだ。
「私の願いが誰かを悲しませるかもしれないなんて分かってる。だけどそれなら、私はどうすればよかったの。ただ泣いていればよかったの? 仕方がないことだったと受け入れればよかったの? ……そんな風に納得できるようなものじゃ、なかったのよ」
今にも泣き出しそうな様子に、ティフォンは掲げていた刃をゆっくりと下して一歩ずつ歩み寄る。
「全てを奪われたお前がどうすればよかったのか、俺にはわからない。だが、共に考えることはできる」
キリの目前で足を止める。敵が目の前にいるというのに、彼女は俯いたまま身体を動かそうとしなかった。
「……どうしてそんなことが言えるのよ。私と貴方は敵なのに」
「俺とお前はよく似ているのだろう。もし、そうであるなら、人は誰かが側にいるだけで楽になれることもあると思うから」
自分にとって、守るべき家族という存在が力をくれるように。
「俺も共に考えよう。お前がどうすればいいのかを。できれば誰も、悲しまない方法で」
龍化していない右手で、そっと彼女の頭を撫でる。
その温かさに顔を上げたキリの瞳には、涙があふれていた。
目の前の胸板に額を押し付けて声を押し殺して泣く彼女を宥めるように、ティフォンはもう一度、そっと頭を撫でた。
龍を狩る集団との決戦Ⅶ
-
「……あらあら、キリちゃんたら落とされちゃいましたのね」
離れた場所で泣き崩れる同胞を眺め、クーリアが残念そうに眉尻を下げる。
「リィも止められてしまいましたし、これで残るは私とターディスのオジさまというわけですが……」
ちらりと視線を向けた先には、轟音とともに砕かれる壁と飛び散る瓦礫の中で兄弟が力をぶつけ合っていた。
「ちっとは長く遊べるようになったみてぇだな。まだバテんなよ」
「貴様のその余裕、今ここで剥ぎ取ってやる!」
ヴェルドの召喚龍ゾヌが放つ水撃を両腕で弾き飛ばしながら、ターディスが接近戦に持ち込もうと間合いを詰める。しかしそれを、しなやかな鞭と水流が阻んだ。
得意とする間合いのわずか外、中距離攻撃を軸にした動きを徹底する弟に、ターディスはにやりと口角をあげた。
「良いじゃねぇか! 随分と力をつけたもんだ。一族の爺どもも喜んでんじゃねぇのか?」
「黙れ!」
嘲るような言葉にヴェルドが声を荒げる。
「貴様は何故そう自分のためだけに行動できる!? 一族の責務も龍喚士としての矜持も忘れ、私欲のためだけに生きることができる!?」
「相変わらず石頭だなぁ、お前は。ンなモン、俺がそうしたいと思ったからに決まってんだろうが!
放たれる鞭を強引に掴み自身の間合いへと引きずり込んだターディスは、彼の額に思いっきり頭突きを叩き込む。
「責務だ矜持だ、面倒くせぇもんに縛られて生きるなんざまっぴらだぜ。たった一度の生を心のまま楽しみ尽くす。それが俺の望んだ生き方なんだよ!」
「……あちらは随分と愉しそうですわね。あの男の子もよく頑張っていますし」
「羨ましいなら、よそ見しないでアタシとの闘いに集中なさいな小娘!」
あれほど嬉しそうに戦うターディスは早々見られないと感心するクーリアに、シャゼルの荊が放たれる。それをするりと避けてみせると、彼女は盛大なため息を漏らして目前の敵に向き直った。
「ハァ……。こちらはハズレくじですわ……どうせ相手をするなら、気持ち悪い人よりもっと素敵なかたがよかったですのに」
「キィー! 毎度毎度口の減らない娘ね! もうアンタ達に勝ちの目はないんだから、悪あがきしないでさっさと諦めなさい!」
「悪あがきをしているつもりはないんですけれど……。私は別に、勝ち目がなくなっても関係ありませんもの」
クスクスと微笑んだまま、余裕を失わない彼女にシャゼルは眉を寄せる。
戦況が不利になっていることは確かだ。だが彼女は引くこともせず戦いを続けている。
……何のために?
「……まさか」
思考の末シャゼルが行き付いた結論に、クーリアは口の端で笑みを作る。
「そろそろお時間ですわ」
「……っ!?」
ティフォンに宥めなれながら落ち着きを取り戻そうとしていたキリが、何かの気配に気付き顔を上げた。己に龍を滅ぼすことを教えた者の気配と力の波動。
それらが向く先を辿ったキリは、目の前にいたティフォンを両腕で思いっきり突き飛ばした。
「危ない!」
「なっ……!?」
衝撃に体勢を崩し、どうしたのかと顔を上げた彼が目にしたもの。
それは闇の一閃に身体を貫かれたキリの姿だった。
龍を狩る集団との決戦Ⅷ
-
ドサリと細い身体が床に倒れる。
傷から滲む赤色に目を見開き、すぐに彼女の側へと駆け寄り声をかけた。
「おい、しっかりしろ!」
「……う……」
「何故、俺を庇って……」
小さく開かれた彼女の口から呻き声と熱い息が吐きだされた。
傷の深さに眉を寄せ、ティフォンは術を放った者へと視線を向ける。
「……っ!?」
そこにいたのは、蠢く漆黒の影……ラジョアだった。
広間にいた全員が、彼の放つ魔力によって重圧に膝をつく中、クーリアはワンピースの裾を掴み、丁寧にお辞儀をしてみせた。
「時間稼ぎにお付き合い頂きありがとうございました。おかげでとても助かりましたわ」
「アンタ……初めからそのつもりだったのね」
「ふふ、ちゃんと全滅させるつもりで戦っていましたわよ。そうならなかったのは貴方達が頑張ったから。……まぁ、それも無駄に終わるわけなのですけれど」
嘲笑うような口ぶりで告げた彼女に、ラジョアの背後から現れたディステルが冷ややかな声をかけた。
「……遊戯は終わりだ、龍を狩る者達」
「ディステル……貴方まで現れたということは」
「貴様が今考えているとおりだ。じきに狂幻魔の創書が終わる。私はその後の準備をしに行くまで」
ディステルが宙に手をかざすと、その場に二つの大きな水晶が現れる。
その中には、静かに眠るロミアと6号の姿があった。
「力を消耗した貴様たちは、我等に追いつくことも止めることもできまい。大人しくここで魔導書が完成する時を待つがいい」
それだけを告げて、ディステルとラジョアは城の奥へと姿を消した。
彼等の言葉に、リクウは焦りを滲ませる。
「いけない……このままでは本当に間に合わなくなる。ニースさん、僕は先へ進みます」
「あらダメですわよ、勝手に動かれては」
「……邪魔をしないでいただけませんか」
「ふふ、それは難しいご相談ですわ。だってターディスのオジさまはあの男の子と遊んでばっかりみたいですもの。残った私が頑張って足止めしなくてはいけないでしょう?」
(……なんとかここを突破しなければ)
行く手を阻むクーリアを前に、大きく翼を広げ機を窺う。
そんな彼の前に、召喚龍を従えたシャゼルが躍り出た。
「アンタの相手はアタシだっていい加減理解しなさい小娘!」
「また貴方なんですの……そろそろ飽きてきたのですけれど……」
嫌そうな顔をする彼女に苛立ちを見せながら、シャゼルは後ろで戸惑いの顔を見せるリクウに言葉を投げかける。
「あの小娘はアタシが相手をするわ。アンタはさっさと先に進みなさい。……ニースちゃん、そんなところで銃構えてないで、アナタも行くのよ!」
「私もか!?」
「当たり前でしょ!? 残る気でいたのがビックリよ!」
シャゼルと同じくクーリアの相手をしようと戦闘態勢に入っていたニースが素っ頓狂な声を上げる。
「いや、だがお前達を残していくわけには……」
「アンタは隊長なんだから、この場は部下を信頼しなさいよ! いいから馬鹿なこと言ってないでさっさと行きなさいな!」
「シャゼル……わかった、ここは任せる!」
背中を押され、ニースは構えていた銃を降ろして龍を召喚しその背に飛び乗った。
「行こうリクウ殿!」
「わ、わかりました……!」
シャゼルがリクウ達を先へ進ませようとする中、重傷を負ったキリを抱えたティフォンの側に、エンラとシルヴィが駆け寄った。
「その娘は妾が引き取ろう。ここで命を落とされては、あの時の説教の礼もできぬからの」
キリの身体を抱き寄せたエンラは、治癒の龍を召喚し彼女の傷口を癒していく。
その様相を見つめるティフォンに、シルヴィがそっと声をかけた。
「ここは私が守る。貴方もリクウと一緒に、先に進んで」
彼女の申し出に、ティフォンは顔を上げて周囲を見渡す。
敵は直属部隊が押さえ、キリにはこの二人が、気を失ったリィにはラシオスとリューネが付いている。
ティフォンは再び剣を取り立ち上がった。
「……後を頼む」
天城の最奥。
静寂が満たすその空間に佇む白幻魔。
その周囲に浮かぶ龍覚印の魔力を集束させ、彼女はゆっくりと最後の文字を書へ刻み込んだ。
『……創書、完了』
完成Ⅰ
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ラジョアとディステルを追い、天城の最奥……空へと続く塔に辿り着いたティフォン達は、扉の前で不気味な仮面を携えた悪魔と対峙した。
「クスクスクスクス、いらっしゃいませ皆様」
酷く、不快な笑い声での出迎えに全員が構える。
中でも強い殺気を放つニースに、ダンタリオンは愉快げに口角を引き上げた。
「おやおや物騒ですねぇ、まだ何もしていないというのに」
「貴様が何故ここにいる。イルムと手を組んでいたのか!?」
銃口を向けられても何の動揺もなく、口角を上げたままこちらを見つめている。
何の目的で自分達の前に現れたのか。意図が読めず困惑の面持ちを見せるティフォン達に、ダンタリオンは可笑しそうに笑い声を上げた。
「貴方がたの行動は見ていて本当に面白いものでした。何度倒れても起き上がる人形は飽きがこなくて良いものですねぇ、フフフフ」
「……貴方の趣味はよくわかりませんが、今はお付き合いできる時間がありません。ここを通していただけますか」
「おや、つれないですねぇ穏龍契士殿。よほどかつてのご友人の元へ向かいたいと見えます。しかし辿り着いたところで、結局は昔と変わらないのではないですか? 何もできず事が終わるのをただ見ているだけになるくらいならば、いっそこの場から動かない方がよいのではないですか。身体を動かすのはお嫌いでしょう? クスクスクス」 わざと煽り怒りを誘うような物言いに、リクウは静かに懐から龍筆を取り出してケラケラと笑う悪魔に筆の先を突き付けた。
「貴方が言う通り、僕は友が苦しむ姿をただ見ている事しかできなかった臆病者だ」
けれど、だからこそ、昔と同じ後悔をするのは嫌だから。
「後悔しないために僕は進むんです。邪魔をしないでくださいこの性悪悪魔!」
勢いよく空に描かれた龍の眼が笑う悪魔の動きを封じる。
自由を奪われたダンタリオンは、それでも笑みを絶やすことなく己の頭上に浮かぶ数々の仮面に触れた。
「いいですねぇその必死な顔、とても素晴らしい。決して倒れず前へと突き進む貴方がたが絶望の淵に立たされた時どんな表情を見せて頂けるのでしょう」
「そんなもの、貴方にお見せする気は毛頭ありません」
「クスクスクス、今はその気がなくともそう遠くないうちに見せて頂ける事になるでしょう。とても楽しみですねぇ……しかし、今の私にはもっと興味をそそる顔があるのですよ」
動けないはずのダンタリオンの手から、どろりと闇が吹き零れる。
「何を……!?」
「“彼”の絶望を見るために、貴方がたをご招待いたしましょう」
クスクスクス。
闇は瞬く間に場を満たし、ティフォン達を呑み込んでいった。
完成Ⅱ
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ダンタリオンの術によって全身を闇で包まれた後。
闇の泥がどろりと滴り落ちるのを感じ、ティフォンは塞いでいた瞼を開ける。
「な……っ!?」
己の視界に入ったのは先ほどまでの場所ではなく、塔の最上階。
空に一番近い場所に佇むイルムの姿があった。
いくつもの魔法陣が描かれた床の中心で眩い光を放つ姿は、神々しささえ感じられる。
その彼女が手にする一冊の本にリクウは目を見開いた。
「龍の書……最後の書も創造されてしまいましたか」
龍の紋様が描かれた魔導書。そこに記されているのは龍という存在の全て。
任務であった龍覚印の奪取もかなわず、間に合わなかった無念に拳を握りしめるニースの横で、ティフォンは手にしていた剣を構えた。
「もし、完成したのは龍の書で”完全な魔導書”じゃないのなら、まだ遅くない」
その言葉に、リクウはハッと何かに気付いたようにイルムを見つめた。
敵を目の前にしても、イルムはその場から動くことなく魔導書に光を集束させている。
「……ティフォン君の言う通り、まだ間に合うかもしれません」
「本当かリクウ殿!」
「人の書、魔の書、龍の書が揃ったことで、イルムは三つの魔導書を融合させる段階に入っている。それには魔力の全てを集中させる必要があります。……おそらく、今彼女はあの場から動くことができないはずです」
「ならば我々のとるべき道は一つだ、ティフォン殿!」
「ああ。完全なる魔導書を完成させる前にイルムを倒す!」
意志を合わせた全員が一斉に攻撃を仕掛ける。
しかし、イルムに届く寸前で魔導書の光が、ティフォン達の攻撃を全て跳ね除けてしまった。
「どうにかして、あの光の壁を破らなければ……」
「しかし、僕達だけでは力が足りません。リューネ達を呼ぶにしても、間に合うかどうか……」
魔導書の完成が近づくだけの状況に、焦燥感だけが溜まっていく。
そんな彼等に向けて、どこからともなく荒々しい声が投げかけられた。
「足りねェなら、オレの力を貸してやるよ!」
その言葉と同時に、ティフォンの剣に強大な炎弾がぶつけられる。
荒く燃え盛る炎は刃を包み込み、彼に火の力を与えた。
懐かしさがこもる力にティフォンはすぐさま声のあった方へと振り向く。
「オレだってアンタの助けになれるんだぜ」
そこには彼が最も信頼するたったひとりの弟、ガディウスの姿があった。
完成Ⅲ
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「ガディウス……無事だったのか」
「そう簡単にくたばらねぇよ」
突然現れた弟の姿に驚きを隠せないでいたティフォンに、ガディウスはこれまでのいきさつを話しながら歩み寄る。
「天城に潜伏してた龍喚士から、オレとよく似た気配の奴がイルムに近づいてるって聞いてな」
カンナからの話でそれが兄だと確信した彼は、サリアにイルミナの護りを任せて書庫からこちらに向かったのだという。
「アイツを倒すんだろ。一緒に戦うぜ」
「だが……」
「いつまでもアンタに助けられてばかりじゃない。オレだって、力になってやれる」
ガディウスは掌に灯した炎をティフォンの剣に送り込む。
黒雷が燃え滾る炎と共鳴し、新たな力を生み出した。
「……強くなったな」
逞しく成長した弟の力を感じ、ティフォンが感慨深げに呟く。
その言葉を聞いたガディウスは少しだけ照れくさそうに、けれど嬉しそうに笑うと、兄と肩を並べて大剣を構えた。
「行くぜ兄貴!」
「ああ!」
二人地を蹴り魔法壁に剣を振り降ろす。
炎と黒雷が共鳴する一撃は、イルムを守る光を勢いよく打ち砕いた。
「やった……!?」
砕かれた光の欠片がパラパラ降り散る中、閉じていた白幻魔の瞼がそっと開かれた。
【幕間】記憶の欠片
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温かな陽だまり、一面の花畑、楽しそうな幼龍達のはしゃぎ声が耳に届いて、重い瞼をゆっくりと開く。
「あら、目が覚めた?」
「……お母さん」
大好きな母の顔が瞳に映り、ねむけ眼をごしごしと擦る。
「まだ寝ていても良かったのよ。今日はとても気持ちの良い日だもの」
「……あまり長く外で眠っては、風邪をひく」
「ふふ、ヴァンドは過保護ね。大丈夫よ、今マイネがブランケットを取りに行ってくれているから」
彼女は寄り添っていた大きな龍に微笑みながら、膝の上にいる息子の髪をなでる。
『ちび、起きた?』
『遊ぼ、遊ぼ!』
目が覚めたことに気付いた幼龍がはしゃぎながら近寄ってくる。
その後ろから、ふわふわの布を抱きしめ駆け寄ってくるマイネの姿が見えた。
「……しあわせね」
優しく我が子を抱きしめながら、ふと呟く。
龍は何も言わず、けれど同意するように彼女へと顔を寄せた。
「こんな日がずっと続けばいいわね……ねぇ、アルトゥラ」
愛しさの籠った母が自分に呼びかける声をまどろみの中で聞きながら、アルトゥラと言う名の少年は、またゆっくりと瞳を閉じ夢の中に入っていった。
「……」
6号は虚ろな目をゆっくりと開いた。
夢を見ていた気がする。温かな庭での、優しい時間。
あの女の人は誰だっただろう。アルトゥラ、とは誰の名前だっただろう。
知らない人、知らない名前。知らない思い出。なのにどうして、こんなにも心が揺れるのだろう。何もわからないまま、撫でられた頭にそっと手を伸ばしていた。
「……目覚めたか」
夢で聞いたものとは違う、冷ややかな声が落とされる。
ぼやけた視界で周囲を見渡せば、側にはディステルとラジョア、そして自分と同じように眠りについている少女がいた。
「6号……と言ったか。鍵の力で異空間に空けた穴を固定するためには、神殺しの龍と契約した貴様の力が必要だ。今暴れられては困る」
ディステルの言葉にあわせて、ラジョアは6号に近付き手をかざした。
何かの術をかけられているのか、再び意識が遠のいていく。
しかしこのまどろみに、先ほどの夢のような温かさはなかった。
「……オ、母、サン」
瞼が落ちる直前、6号はあの夢の中での言葉を呟く。
もう一度、あの夢が見たい。あの人に会いたい。
そんなことを思いながら。
【幕間】待ち人
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天城の真下。荒廃した地に腰を下ろしながら、スオウは瞼を開き城の中で起こっている事柄をその瞳に映していた。
ロシェとの決着をつけたプラリネとヴァレリア達。
負傷したキリや気を失ったままのリィを守りながらクーリア、ターディスと戦闘を続けるリューネ達。
そして“龍の書”を完成させたイルムに相対するティフォン、ガディウス達。
それぞれの状況を見つめながら、スオウは小さく肩を落とす。
(やっぱこの未来を進むことになるのかねぇ)
己が手を出そうと出すまいと、どうやら避けたかった未来は変えられないらしい。
ならば今から最良にすることは難しくとも、少しでも最悪から脱するようにするしかない。
(どこまでやれるかね……)
力を使い、少し疲れた目を押えながら考えていたスオウに、アルファとオメガが問いかけた。
「おいスオウ。しばらくここにいるけど、これからどうするつもりなんだ?」
「な、何かお考えがあるのです……?」
城で戦うティフォンやリューネ達を手助けすることも見放すこともなく、この場から離れないのは何故なのか。首を傾げる二人に、スオウは子どもの笑みを浮かべて答えた。
「ああ、ちと待ってる奴がいてな。そろそろ来るはずなんだがなぁー」
きょろきょろと辺りを見渡すスオウに合わせて、二人も視線を周囲へと向ける。
しかし人はおろか獣や精霊、植物すら見当たらない。
「こんなところに誰がくるんだよ」
「白衣の天使」
「はぁ?」
とうとう酒の飲みすぎでおかしくなったかと額を押さえるアルファ。その頭上から、ひゅるる……と風を切る音が聞こえてきた。
だんだん近づいてくるその音に気付き、視線を空へ向けた瞬間。
空の上から得体のしれない何かがドゴオッと降り落ちてきた。
「ひ、ひやぁぁあああ!?」
「ててててて天使が落っこちてきたのか!?」
仰天しながら落ちてきた人物を見る。それはスオウの言ったような白衣の天使……ではなく、全身スーツに身を包み大きな龍を連れた人物だった。
表情は見えず、顔部分には気の抜けた落書きのようなニッコリマークが描かれている。
「ようやく来たかー、待ってたぜー」
「やー遅くなってすみませんッス。お久しぶりッスねセンパイ、また飲みすぎて体壊したりしてないッスかー?」
異様な風貌に似合わない軽声が響く。
どうやらこの人物を待っていたらしいが、一体何者なのか。
展開についていけず『何なんだコイツは』と視線で訴えるアルファに、スオウは笑って答えを返した。
「こいつは、最悪の未来をマシにするための保険だよ」
※パズドラクロス・TVアニメーション等の設定とは異なります。